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{{出典の明記|date=2020年6月}}
{{Infobox Musician
| Name = SALON MUSIC
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| URL = [http://www.salonmusic.info/ サロン・ミュージックホームページ]
[http://1fct.net/artists/salon-music felicity レーベルページ]
| Current_members = {{Plainlist|
* 吉田仁<br
* />竹中仁見
}}
| Past_members =
| Notable_instruments =
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'''SALON MUSIC'''(サロン・ミュージック)は、吉田仁と竹中仁見の2人によって構成される[[日本]]の[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]][[音楽ユニット|ユニット]]。[[渋谷系]]のパイオニアで、多くのアメリカとイギリスの[[オルタナティヴ・ロック]]バンドに影響を及ぼした
 
== 概要 ==
日本国内外に熱烈なファンを擁す。[[アメリカ合衆国]]を代表する[[サイバーパンク]]作家の[[ブルース・スターリング]]も支持しており、『la paloma show(ラ・パロマ・ショウ)』の再発CDにコメントを寄せている。
 
13枚のオリジナルアルバム、各レコード会社編集のベスト盤(1998年発表の『girls at our tratt's best!』は新録やremix入り)をリリース、15枚のコンピレーションアルバムに参加。詳細は後述の[[#作品|作品]]の節を参照のこと。
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[[1980年]]、吉田仁と竹中仁見の2人によって結成される。活動開始時は[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]全盛期で、小粋で、ねじれたポップ感覚は[[イギリス]]でも注目された。
 
1981年、イギリス・SOUNDS誌ジャパニーズテクノポップチャートで、セルフレコーディングのカセットテープ『hunting on Paris』がNo.1に輝く首位を獲得。1982年、イギリス、[[フォノグラム]]からデビュー。「hunting on Paris」は、アルバム『Tokyo mobile music』に収録され、後にシングルカットされる。同年、カセットマガジンTRA #2に参加。この頃は、六本木ink stickで定期的にライブを行っていた。
 
1983年、[[本田技研工業|ホンダ]]・[[ホンダ・CR-X|バラードスポーツCR-X]]などのCM曲のシングルをリリース。1stアルバム『my girl friday』を発表した。
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{{子記事|[[:Category:日本のロック・バンド]]|[[:Category:日本のオルタナティヴ・ロック・バンド]]}}
[[Category:日本のオルタナティヴ・ロック・バンド]]
[[Category:日本のインディー・ロック・バンド]]