「アート・ブレイキー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
{{出典の明記|date=2020年3月}}など
→‎日本との関係: 出典元が不明のため
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
63行目:
 以下のような日本での逸話がある。
 
「昭和40年(1965年)1月18日、氏(アート・ブレイキー)の演奏会が行われました。2時間の熱演の後、幕が下りた後も、興奮冷めやらず、聴衆は席を立とうとしません。その時、聴衆の中から、数人の少女たちがドラムをかかえて舞台裏へ突進していきました。たどたどしい英語で、自分たちが鼓笛隊メンバーであることを話しました。『ぜひ教えてほしい』。あまりの熱心さに、氏はその場で直ちに教え始めました」。その後、氏は少女たちの真剣さに打たれて、日を改めて教えることを約束し、1月26日、にわか結成の音楽隊・鼓笛隊の仲間にリズムの基礎家のレッスンを行った。「鼓笛隊員の一生懸命な姿に、彼も背広を脱ぎ捨て、すぐスティックを取って、全魂をこめてたたき出しました。『形式や、形で打つのではない。ハートで打つのだ!』……全身から噴き出る汗をぬぐおうともせず、巨体でリズムをとり、シャシャーンとシンバルを打つ。すさまじい迫力。教える側と教わる側が一体になった練習が約1時間続きました。約束の時間を過ぎても、彼はやめようとしない。最後に、汗と涙でくしゃくしゃの顔で『私は、日本の本当の姿を見た。日本は私のふるさとだ』と語り、舞台のそでに駆け込んで、マネジャーと抱き合い、号泣していたといいます」。 (『法華経に知恵』第六巻、69-70.)  {{要出典|date=2020年6月|title=池田大作『法華経の知恵』のことか?}}
 
== メッセンジャーズ出身者 ==