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== 銃の歴史 ==
[[File:Yuan_chinese_gun.jpg|thumb|240px|right|[[元 (王朝)|元朝]]の
[[Image:HandBombardWesternEurope1390-1400.jpg|thumb|240px|柄が付いたハンドキャノン、<br/>または、ハンドカルバリン<br/>(1390-1400年)]]▼
弾丸を発射する火薬を最初に発明した国はいまだに確定していない。[[中国]]、[[アラビア]]、[[インド]]などが、それぞれ自国が最初だと主張している。[[ギリシア]]の古文書に書かれる「ギリシアの火」が火薬の起源と主張する説もある。現在のところ、中国説が有力であるという<ref name="nipo">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E9%8A%83-526198#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|title=日本大百科全書(ニッポニカ)「銃」|accessdate= 2015-11-24 |work= [https://kotobank.jp/ コトバンク] |language= 英語 }}</ref>。
[[File:Tepu4.jpg|thumb|240px|left|[[火縄銃]](15世紀)]]▼
初め火薬は、梱包されて導火線をつけ、投擲して建物などを焼く、焼夷弾の火毬に利用された。火毬は火薬を陶器の容器に装填し、破裂すると破片が飛び散る原始的な[[手榴弾]]となった。この手榴弾は鉄炮と名づけられ、13世紀に[[モンゴル帝国]]が武器として各戦場で使用した。[[1274年]]の日本襲来([[元寇]])の際にもモンゴル軍によって使用された<ref name="nipo"/>。
{{Imageframe|width=240|content=[[File:Rifle Springfield M1903.jpg|250px]][[File:Garand.jpg|250px]][[File:Stgw 90.jpg|250px]][[File:AUG A2 407mm klein 03.jpg|200px]]|caption='''上:''' ベーカーライフル、19世紀のライフル<br />'''上から2番目:''' [[スプリングフィールドM1903小銃|M1903]]、20世紀初頭のボルトアクションライフル<br />'''上から3番目:''' [[M1ガーランド]]、半自動小銃<br />'''上から4番目:''' [[SIG SG550]]、アサルトライフル<br />'''上から5番目:''' [[ステアーAUG]]、[[ブルパップ方式]]アサルトライフル|align=right}}▼
同時期に中国では、槍の柄に筒状の容器を取り付けて、その中に火薬を詰めて推進力に利用して飛ばす「火箭」が使用された。中国の古文書には、[[1259年]]に[[寿春府]]で、筒状の木や竹の中に火薬と石の弾丸を入れて前方に飛ばす「[[火槍|突火槍]]」が発明されたと記されている。この突火槍が後の銃の原型になったとされている<ref name="nipo"/>。その後、1270年から80年頃に突火槍にかわり、青銅などの金属を筒状に鋳造した「手銃」({{仮リンク|ハンドキャノン|en|Hand cannon}})が製造され、これは筒の後方に木の柄を取り付けて使用した<ref name="nipo"/>。[[14世紀]]に入ると中国各地に手銃が伝わり、同世紀末頃に中国各地で製造が始まっている<ref name="nipo"/>。中国の主張によれば、中国で発明された火薬や火薬を使用する武器は[[シルク・ロード]]を通ってインドやアラビアに伝わったのだという<ref name="nipo"/>。
原始的銃は、中国、アラビア、インドなどで生まれたものであるが、その後アジア地域では近代化や発展が著しく停滞。代わって原始的な銃砲を近代的な銃砲に発展させたことになったのは、アラビアから火薬や銃砲が伝わった[[ヨーロッパ]]であった<ref name="nipo"/>。
=== ヨーロッパにおける発展 ===
▲[[Image:HandBombardWesternEurope1390-1400.jpg|thumb|240px|柄が付いたハンドキャノン、<br/>または、ハンドカルバリン<br/>(1390-1400年)]]
ヨーロッパでは、12世紀から13世紀ごろにアラビアの薬学書や化学書がギリシア語やラテン語に翻訳され、その火薬の知識が[[錬金術師]]によって伝えられていた。とりわけ[[1248年]]から[[1254年]]に行われたヨーロッパ人による[[第七次十字軍]]の際にアラビア軍がローマンキャンドルや手銃を広範に使用して反撃を行ったことが大きな影響を与えた。当時のローマンキャンドルや手銃では至近距離以外での命中はほとんど望めず、当たったとしても[[甲冑]]を貫通することはできなかったが、発射音や煙で軍馬や兵士を混乱させる効果が大きく、しばしばアラビア軍側に有利に働いた。この戦闘で火砲の威力を知ったヨーロッパ諸国は以降火砲の製造に乗り出すようになった<ref name="nipo"/>。
ヨーロッパで最初に製作された火砲は、ローマンキャンドルと似たキャノンロックだった。キャノンロックは、鉄板を丸めて筒状にし、周囲に多くの鉄製バンドを巻き付けて強化し、後端には柄があった。金属の丸い弾丸だけでなく丸い石や鉄製の矢なども発射した。大きさは様々であり、1人で運搬して射撃できる小さい口径の物から、数人で操作する大口径の物もあった。前者が後の小銃の原型となり、後者が大砲の原型となった<ref name="nipo"/>。一体構造で強度がある鉄製の筒が製造できるようになるとキャノンロックの小型化は進んだ<ref name="nipo"/>。
[[15世紀]]に入ると、鋼鉄製品の鍛造加工技術に優れる[[ドイツ]]において、次々と革新的な銃砲のメカニズムが開発された<ref name="nipo"/>。15世紀初頭には片手で銃を持ち、もう片方の手で火縄を持って点火孔に押しつけて発射した従来のタッチホールロックではなく、引き金を引くと自動的に火縄が点火孔に押しつけられるマッチロック(火縄式)が開発された<ref name="nipo"/>(マッチロックはそれ以前の[[1375年]]頃に[[ベルギー]]の[[リエージュ]]で発明されたとする説もある<ref name="nipo"/>)。マッチロックの開発によって銃を両手で保持して照準できるようになった<ref name="nipo"/>。従来は棒状であった柄も握りやすいよう湾曲した形状になり、頬や肩に密着させて正確な照準が可能となる[[銃床]]へと進化し、また銃身の上面に照準器が取り付けられるようになった<ref name="nipo"/>。
このヨーロッパで発明されたマッチロック式(火縄式)が、[[1543年]]に日本の[[種子島]]に漂流したポルトガル人によって日本に伝えられたものである。戦国時代だったため、各大名の新兵器に対する需要は高く、火縄銃は急速に日本各地に広がったが、[[徳川幕府]]が成立すると、幕府は火縄銃の普及を恐れて様々な制限を加えるようになり、また[[鎖国]]政策によって海外の最新情報の流入が減少したことで日本における銃の発展や改良は再度ヨーロッパから銃を輸入するようになる[[幕末]]まで完全に停滞した<ref name="nipo"/>。
▲=== 構造史 ===
[[File:Ketland1.jpg|thumb|フリントロック式の銃]]
ヨーロッパでは[[16世紀]]になると、騎兵向けの軽量銃器として[[拳銃]](ピストレット)や騎兵銃([[カービン銃]])など用途に適した形式の銃も出現するようになった<ref name="nipo"/>。しかしマッチロックは火のついた火縄を持ち歩く必要があり、火縄の臭いで敵に気づかれたり、雨や雪で火が消えるなど欠点が多かった。これらの欠点の克服のため、スナップハンス式など火打石と鋼のやすりを擦り合わせて発火させる方式が発明された<ref name="nipo"/>。[[17世紀]]初頭には[[フランス]]でスナップハンス式を改良した[[フリントロック式]]が開発されて、やすりの下端が点火孔外側に装填された補助点火火薬を保護する蓋を兼用するようになった。これによりもはや火縄を持ち歩く必要は無くなり、天候に左右されにくくなった。ヨーロッパ各国は競ってフリントロック銃を軍用銃とした<ref name="nipo"/>。フリントロック式は信頼性が高く、2世紀もの間使用され続け、その間様々な改良や試作が行われた<ref name="nipo"/>。またフリントロック式の軍用銃は、歩兵用の長い[[マスケット銃]]、それよりやや短く軽量のドラグーン、騎兵用の短いカービン銃、片手で射撃できる小型のピストルなどが用途別にいろいろなものが使用された<ref name="nipo"/>。
[[18世紀]]初頭にヨーロッパで[[パーカッションロック式]](管打式・雷管式撃発装置)の発火方式が、フリントロックに代わるものとして開発された。これは水銀系の[[雷汞]]という火薬を発火に使用するものだった<ref name="nipo"/>。フリントロックと違って、補助点火火薬の装填の必要もなく、発射後再装填がすばやく行え、空気中の湿気の銃身内の火薬の保護にも優れていた<ref name="nipo"/>。18世紀中頃以降には、ヨーロッパ諸国は従来のフリントロックを改造した物か、パーカッションロック式を軍用銃として採用するようになった<ref name="nipo"/>。
金属加工技術に優れるドイツでは、古くから銃身内に螺旋溝(ライフリング)を刻み、弾丸に回転を与えることで命中精度を高めた「イェーガー・ブクセ(狩猟銃)」が狙撃兵に支給されていた<ref name="nipo"/>。他のヨーロッパ諸国もパーカッションロック銃の時代になると、銃身内に螺旋溝を刻むようになり、命中精度が向上した。英語でマスケットと呼ばれていた歩兵用小銃が[[ライフル]]と呼び変えられた語源はこれである<ref name="nipo"/>。一方、騎兵用の短い銃は、[[単発銃]]の時代に発射後にフックで吊るして戦闘を続けたため、ドイツ語でフックを意味する「カラビナー」から英語で[[カービン]]と呼ばれるようになった<ref name="nipo"/>。
=== 近代から現代 ===
▲{{Imageframe|width=240|content=[[File:Rifle Springfield M1903.jpg|250px]][[File:Garand.jpg|250px]][[File:Stgw 90.jpg|250px]][[File:AUG A2 407mm klein 03.jpg|200px]]|caption='''上:''' ベーカーライフル、19世紀のライフル<br />'''上から2番目:''' [[スプリングフィールドM1903小銃|M1903]]、20世紀初頭のボルトアクションライフル<br />'''上から3番目:''' [[M1ガーランド]]、半自動小銃<br />'''上から4番目:''' [[SIG SG550]]、アサルトライフル<br />'''上から5番目:''' [[ステアーAUG]]、[[ブルパップ方式]]アサルトライフル|align=right}}
[[19世紀]]中頃に火薬と弾丸は銃口から装填する前装式(先込め式)は後装式(元込め式)に取って代わられていった<ref name="nipo"/>。19世紀には弾薬にも変化が現れた。従来の弾薬は、弾丸、発射薬、雷管とバラバラだったのが、新たに発明された弾薬は、薬莢(カートリッジ)とよばれる軟金属製のカップで一体化された。この薬莢によって後装式銃の製造は容易になった<ref name="nipo"/>。特に[[1860年代]]にフランスやイギリスで軍用弾薬の高い圧力にも耐えられるセンターファイアー・カートリッジが開発されると以降はこれが弾薬の主流となり、現在に至るまで使用され続けている<ref name="nipo"/>。弾薬の一体化で後装式単発銃のみならず、手動式の連発銃、自動的に弾薬を再装填する自動装填式銃(セミオートマチック・ライフル)、連続して射撃できる自動銃(オートマチック・ライフル、フルオートマチック・ライフル)、さらには[[機関銃]](マシンガン)の製造も可能となっていく<ref name="nipo"/>。
1871年に製品化されたドイツのマウザー・[[ボルトアクション方式]]小銃は薬莢を使用した後装式銃で最も特筆される製品となり、以降続々とその改良型が考案されて世界各国にコピーされ、[[第二次世界大戦]]が終わるまで各国の軍用銃の主流を占めた<ref name="nipo"/>。
[[1884年]]にはフランスで[[無煙火薬]]が発明された。これにより発射煙で視界が妨げられることがなくなり、弾丸を高速で発射できるので、8ミリ程度の小さな弾丸口径で弾薬を計量に製造することも可能となった。1886年にフランスは世界に先駆けて無煙火薬の口径8ミリ弾薬を軍用に採用。その後10年間に世界各国も採用し、弾薬を口径6.5から8ミリに小さくして軽量化させた<ref name="nipo"/>。弾薬軽量化で自動銃の研究も進み、19世紀末には自動装填式拳銃(セミオートマチック・ピストル)や機関銃が実用化された<ref name="nipo"/>。
[[第一次世界大戦]]では敵塹壕への突撃のために、射撃しながら前進できる空冷式で軽量の軽機関銃(ライトマシンガン)、拳銃弾を連発できて塹壕内で動きやすい小型サブマシンガン(マシンピストル・マシンカービン・機関短銃)も新兵器として登場した<ref name="nipo"/>。また第一次世界大戦を契機として軍用銃器の中心であるボルトアクション小銃も命中精度よりも扱いやすさが重視されるようになり、110ミリほどに短くなった<ref name="nipo"/>。
第二次世界大戦中にはドイツが[[ラインメタル/マウザー・ヴェルケMG34機関銃|MG34機関銃]]や[[グロスフスMG42機関銃|MG42]]機関銃などの、組み替えて防衛用・攻撃用に用途を変えられるシステム機関銃(システムマシンガン)を使用。このような組み替えによって異なった用途に対応可能な兵器をシステムウェポンとよび、現代の機関銃はドイツのシステム機関銃の大きな影響のもとにある<ref name="nipo"/>。また第二次世界大戦半ばからドイツは[[StG44 (突撃銃)]]という[[アサルトライフル]]を開発・使用。これは多くの弾薬が装填可能であり、全自動連射と半自動連射の選択が可能であり、高い敵制圧力があった<ref name="nipo"/>。これをドイツ軍から鹵獲した各国でアサルトライフル研究が進み、戦後の[[1947年]]には[[ソ連]]がドイツの突撃銃を模した[[AK-47]]ライフル(カラシニコフ・オートマチック1947年型)を開発して配備。対抗して[[西側諸国]]でも軍用ライフルに突撃銃を採用するようになった<ref name="nipo"/>。中でもアメリカが[[ベトナム戦争]]中に採用した[[M16自動小銃]]は、5.56ミリ口径で重量12グラムの弾丸を1000メートル毎秒の高速で発射できる設計だった<ref name="nipo"/>。
小口径高速弾は、従来の弾薬に比して極めて軽量であり、大量の弾薬を消費する現代戦に向いているため、現代の軍用銃のほとんどは類似の小口径高速弾薬を使用している<ref name="nipo"/>。現代の軍用小銃は、全自動連射と半自動連射に切り替えることができ、一時に多数の小口径高速弾薬の装填が可能であり、軽合金やプラスチックを多用することで軽量小型化されている傾向にある<ref name="nipo"/>。
== 銃の分類 ==
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