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== 銃の歴史 ==
=== 構造史起源 ===
[[File:Yuan_chinese_gun.jpg|thumb|240px|right|[[元 (王朝)|元朝]]の火槍(1271-1368年)ブロンズ製の銃器]]
[[Image:HandBombardWesternEurope1390-1400.jpg|thumb|240px|柄が付いたハンドキャノン、<br/>または、ハンドカルバリン<br/>(1390-1400年)]]
弾丸を発射する火薬を最初に発明した国はいまだに確定していない。[[中国]]、[[アラビア]]、[[インド]]などが、それぞれ自国が最初だと主張している。[[ギリシア]]の古文書に書かれる「ギリシアの火」が火薬の起源と主張する説もある。現在のところ、中国説が有力であるという<ref name="nipo">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E9%8A%83-526198#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|title=日本大百科全書(ニッポニカ)「銃」|accessdate= 2015-11-24 |work= [https://kotobank.jp/ コトバンク] |language= 英語 }}</ref>。
[[File:Tepu4.jpg|thumb|240px|left|[[火縄銃]](15世紀)]]
 
初め火薬は、梱包されて導火線をつけ、投擲して建物などを焼く、焼夷弾の火毬に利用された。火毬は火薬を陶器の容器に装填し、破裂すると破片が飛び散る原始的な[[手榴弾]]となった。この手榴弾は鉄炮と名づけられ、13世紀に[[モンゴル帝国]]が武器として各戦場で使用した。[[1274年]]の日本襲来([[元寇]])の際にもモンゴル軍によって使用された<ref name="nipo"/>。
{{Imageframe|width=240|content=[[File:Rifle Springfield M1903.jpg|250px]][[File:Garand.jpg|250px]][[File:Stgw 90.jpg|250px]][[File:AUG A2 407mm klein 03.jpg|200px]]|caption='''上:''' ベーカーライフル、19世紀のライフル<br />'''上から2番目:''' [[スプリングフィールドM1903小銃|M1903]]、20世紀初頭のボルトアクションライフル<br />'''上から3番目:''' [[M1ガーランド]]、半自動小銃<br />'''上から4番目:''' [[SIG SG550]]、アサルトライフル<br />'''上から5番目:''' [[ステアーAUG]]、[[ブルパップ方式]]アサルトライフル|align=right}}
 
同時期に中国では、槍の柄に筒状の容器を取り付けて、その中に火薬を詰めて推進力に利用して飛ばす「火箭」が使用された。中国の古文書には、[[1259年]]に[[寿春府]]で、筒状の木や竹の中に火薬と石の弾丸を入れて前方に飛ばす「[[火槍|突火槍]]」が発明されたと記されている。この突火槍が後の銃の原型になったとされている<ref name="nipo"/>。その後、1270年から80年頃に突火槍にかわり、青銅などの金属を筒状に鋳造した「手銃」({{仮リンク|ハンドキャノン|en|Hand cannon}})が製造され、これは筒の後方に木の柄を取り付けて使用した<ref name="nipo"/>。[[14世紀]]に入ると中国各地に手銃が伝わり、同世紀末頃に中国各地で製造が始まっている<ref name="nipo"/>。中国の主張によれば、中国で発明された火薬や火薬を使用する武器は[[シルク・ロード]]を通ってインドやアラビアに伝わったのだという<ref name="nipo"/>。
はじめて銃器に近いものが発明されたのは中国であり、8世紀末から9世紀初頭ごろに、[[唐]]で開発された[[火槍]]({{仮リンク|ハンドキャノン|en|Hand cannon}})がその嚆矢とされる。その後、銃は[[宋 (王朝)|宋]]王朝の兵器廠において生産されるようになり、[[1279年]]に[[南宋]]が滅亡するまでこの生産は続き、対[[元 (王朝)|元]]戦などに使用された。この銃器の生産法は[[マドファ]]として西方の[[イスラム]]世界にも伝えられ、なかでも[[オスマン帝国]]は銃を多用した。[[1473年]]には銃を主兵器とするオスマン帝国の[[イェニチェリ]]が、[[白羊朝]]軍を破っており、[[1514年]]にも同じくオスマン帝国のイェニチェリが、[[チャルディラーンの戦い]]において[[サファヴィー朝]]の[[クズルバシュ]]軍を破っている<ref>学研「歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編」p98-99 1995年10月1日第1刷</ref>。15世紀ごろにはヨーロッパでも銃が生産されるようになり、[[1542年]]には騎兵用の短銃がスペイン帝国領のドイツで開発され対仏戦に使用された。
 
原始的銃は、中国、アラビア、インドなどで生まれたものであるが、その後アジア地域では近代化や発展が著しく停滞。代わって原始的な銃砲を近代的な銃砲に発展させたことになったのは、アラビアから火薬や銃砲が伝わった[[ヨーロッパ]]であった<ref name="nipo"/>。
[[1543年]]には、[[日本]]の[[種子島]]に[[ポルトガル]]商人によって[[火縄銃]]が伝えられる。その後40年程で日本は当時世界最大の銃保有国となる。また、銃はヨーロッパ世界やイスラム世界がその他の世界を征服するのに大きな力を発揮し、[[スペイン]]の[[アステカ帝国]]・[[インカ帝国]]の征服、[[モロッコ]]・[[サアド朝]]の[[ソンガイ帝国]]征服などの原動力となった。その後、[[三角貿易]]の時代にはヨーロッパ諸国の[[アフリカ]]への主要輸出品のひとつは銃となり、この銃を入手した[[西アフリカ]]海岸部の国々は内陸部の国々に[[奴隷]]狩りを仕掛け、これによって入手された奴隷が[[新大陸]]へと送られるようになった。[[1650年代]] には銃が火縄式([[火縄銃|マッチロック式]])から火打ち式([[フリントロック式]])に移り変わった。
 
=== ヨーロッパにおける発展 ===
[[1775年]]の[[アメリカ独立戦争]]でヤ-ゲル([[オランダ語|蘭]]:Jager、英語読みではジャガー)[[小銃|ライフル]](施条式銃)が使用されたが、弾込めの大変さから19世紀までその使用は限定的だった。その後も銃の開発は進展していき、[[1806年]]に[[スコットランド人]]のアレキサンダー・ジョン・フォーサイスが開発し、[[1822年]]にはアメリカ人のジョシュア・ショウが改良したパーカッションロックが普及する。[[1836年]]には[[サミュエル・コルト]]がリボルバーを手動から連動式に改良。[[1858年]]には[[スミス&ウェッソン]]社から[[薬莢|金属薬莢式]]拳銃であるNo.1リボルバーが発売される。[[1866年]]にはオリバー・ウィンチェスターが、現行連発銃の元祖である[[ウィンチェスターライフル]]を開発。[[1893年]]にはドイツ人のヒューゴ・ボーチャードにより自動拳銃が開発された。[[1914年]]ごろにはボルトアクション式ライフルが普及する。[[1950年代]]に入ると自動式小銃が世界的に普及するようになり、[[1960年代]]には小口径弾を扱う自動小銃が登場した。
[[Image:HandBombardWesternEurope1390-1400.jpg|thumb|240px|柄が付いたハンドキャノン、<br/>または、ハンドカルバリン<br/>(1390-1400年)]]
ヨーロッパでは、12世紀から13世紀ごろにアラビアの薬学書や化学書がギリシア語やラテン語に翻訳され、その火薬の知識が[[錬金術師]]によって伝えられていた。とりわけ[[1248年]]から[[1254年]]に行われたヨーロッパ人による[[第七次十字軍]]の際にアラビア軍がローマンキャンドルや手銃を広範に使用して反撃を行ったことが大きな影響を与えた。当時のローマンキャンドルや手銃では至近距離以外での命中はほとんど望めず、当たったとしても[[甲冑]]を貫通することはできなかったが、発射音や煙で軍馬や兵士を混乱させる効果が大きく、しばしばアラビア軍側に有利に働いた。この戦闘で火砲の威力を知ったヨーロッパ諸国は以降火砲の製造に乗り出すようになった<ref name="nipo"/>。
 
ヨーロッパで最初に製作された火砲は、ローマンキャンドルと似たキャノンロックだった。キャノンロックは、鉄板を丸めて筒状にし、周囲に多くの鉄製バンドを巻き付けて強化し、後端には柄があった。金属の丸い弾丸だけでなく丸い石や鉄製の矢なども発射した。大きさは様々であり、1人で運搬して射撃できる小さい口径の物から、数人で操作する大口径の物もあった。前者が後の小銃の原型となり、後者が大砲の原型となった<ref name="nipo"/>。一体構造で強度がある鉄製の筒が製造できるようになるとキャノンロックの小型化は進んだ<ref name="nipo"/>。
[[File:Tepu4.jpg|thumb|240px|left|[[火縄銃]](15世紀)]]
[[15世紀]]に入ると、鋼鉄製品の鍛造加工技術に優れる[[ドイツ]]において、次々と革新的な銃砲のメカニズムが開発された<ref name="nipo"/>。15世紀初頭には片手で銃を持ち、もう片方の手で火縄を持って点火孔に押しつけて発射した従来のタッチホールロックではなく、引き金を引くと自動的に火縄が点火孔に押しつけられるマッチロック(火縄式)が開発された<ref name="nipo"/>(マッチロックはそれ以前の[[1375年]]頃に[[ベルギー]]の[[リエージュ]]で発明されたとする説もある<ref name="nipo"/>)。マッチロックの開発によって銃を両手で保持して照準できるようになった<ref name="nipo"/>。従来は棒状であった柄も握りやすいよう湾曲した形状になり、頬や肩に密着させて正確な照準が可能となる[[銃床]]へと進化し、また銃身の上面に照準器が取り付けられるようになった<ref name="nipo"/>。
 
このヨーロッパで発明されたマッチロック式(火縄式)が、[[1543年]]に日本の[[種子島]]に漂流したポルトガル人によって日本に伝えられたものである。戦国時代だったため、各大名の新兵器に対する需要は高く、火縄銃は急速に日本各地に広がったが、[[徳川幕府]]が成立すると、幕府は火縄銃の普及を恐れて様々な制限を加えるようになり、また[[鎖国]]政策によって海外の最新情報の流入が減少したことで日本における銃の発展や改良は再度ヨーロッパから銃を輸入するようになる[[幕末]]まで完全に停滞した<ref name="nipo"/>。
=== 構造史 ===
[[File:Ketland1.jpg|thumb|フリントロック式の銃]]
構造から見た銃の歴史は以下の通り。
ヨーロッパでは[[16世紀]]になると、騎兵向けの軽量銃器として[[拳銃]](ピストレット)や騎兵銃([[カービン銃]])など用途に適した形式の銃も出現するようになった<ref name="nipo"/>。しかしマッチロックは火のついた火縄を持ち歩く必要があり、火縄の臭いで敵に気づかれたり、雨や雪で火が消えるなど欠点が多かった。これらの欠点の克服のため、スナップハンス式など火打石と鋼のやすりを擦り合わせて発火させる方式が発明された<ref name="nipo"/>。[[17世紀]]初頭には[[フランス]]でスナップハンス式を改良した[[フリントロック式]]が開発されて、やすりの下端が点火孔外側に装填された補助点火火薬を保護する蓋を兼用するようになった。これによりもはや火縄を持ち歩く必要は無くなり、天候に左右されにくくなった。ヨーロッパ各国は競ってフリントロック銃を軍用銃とした<ref name="nipo"/>。フリントロック式は信頼性が高く、2世紀もの間使用され続け、その間様々な改良や試作が行われた<ref name="nipo"/>。またフリントロック式の軍用銃は、歩兵用の長い[[マスケット銃]]、それよりやや短く軽量のドラグーン、騎兵用の短いカービン銃、片手で射撃できる小型のピストルなどが用途別にいろいろなものが使用された<ref name="nipo"/>。
 
[[18世紀]]初頭にヨーロッパで[[パーカッションロック式]](管打式・雷管式撃発装置)の発火方式が、フリントロックに代わるものとして開発された。これは水銀系の[[雷汞]]という火薬を発火に使用するものだった<ref name="nipo"/>。フリントロックと違って、補助点火火薬の装填の必要もなく、発射後再装填がすばやく行え、空気中の湿気の銃身内の火薬の保護にも優れていた<ref name="nipo"/>。18世紀中頃以降には、ヨーロッパ諸国は従来のフリントロックを改造した物か、パーカッションロック式を軍用銃として採用するようになった<ref name="nipo"/>。
9世紀 - 15世紀頃に使用された飛発と呼ばれる簡素な銃は、[[パイプ]]の一端を閉じて[[ハンドル|握り]]を付け、側面に小さな穴を開けたハンドキャノン([[中国語|中]]:火槍)で、使用時は上面の孔から火の付いた棒を差しこんで充填した[[発射薬|装薬]]に着火した。着火が面倒なため照準が合わせづらく、銃把(柄)を持つ形へ移行。その後、片手で扱えるように、[[火縄]]とS字型の引き金を持つ、[[サーペンタインロック式]](蛇、[[英語|英]]:Serpentinelock)と呼ばれる手動式撃発装置を備える銃が開発された。
 
金属加工技術に優れるドイツでは、古くから銃身内に螺旋溝(ライフリング)を刻み、弾丸に回転を与えることで命中精度を高めた「イェーガー・ブクセ(狩猟銃)」が狙撃兵に支給されていた<ref name="nipo"/>。他のヨーロッパ諸国もパーカッションロック銃の時代になると、銃身内に螺旋溝を刻むようになり、命中精度が向上した。英語でマスケットと呼ばれていた歩兵用小銃が[[ライフル]]と呼び変えられた語源はこれである<ref name="nipo"/>。一方、騎兵用の短い銃は、[[単発銃]]の時代に発射後にフックで吊るして戦闘を続けたため、ドイツ語でフックを意味する「カラビナー」から英語で[[カービン]]と呼ばれるようになった<ref name="nipo"/>。
[[火縄銃]]として知られる銃はマッチロック式(英:Match lock)と呼ばれる着火方式の銃で、サーペンタインの手動式からの発展型で機械的な[[引き金]]と[[火皿]]を備えていた。火皿は銃身の横に取り付けられており、小さなくぼみの底に火門(タッチホール、英:Touch hole)と呼ばれる点火孔があり、それが方向を90度変えて銃身とつながっている{{efn2|ただし、「90度変えて」火門とつながった方式は、日本では一般的であるが、日本以外の地域のものは、火門に直接火皿が繋がっている}}。火皿には少量の点火薬が盛られており、引き金を引くと火のついた縄が火皿に倒れこむことで着火、すると火皿を通じて火門に盛られていた点火薬が[[導火線]]となり、銃身内部の装薬が爆発して弾が発射される。マッチロック式は生火を扱うので悪天候に弱く、また燃え続ける火縄の補充と管理に手間がかり、火縄の匂いや夜間での隠密性に問題があった。
 
=== 近代から現代 ===
また、これは火皿を持つ銃全般に言えるが、ハンドキャノンやサーペンタインなどの[[タッチホール式]]と違って装薬が直接点火されることがないため、瞬時に発砲せず、これらは酷い時には引き金を引いてから、発射までに数秒もの時間が空くタイムラグを持っているのが欠点であった<ref>。『別冊Gun 素晴らしいGunの世界』201頁。</ref>。加えて火皿に盛られた[[黒色火薬]]は火蓋などが付いていても密閉度が低く、外気に含まれる雨や雪、そして霧などの[[湿気]]に対して脆弱であった。
{{Imageframe|width=240|content=[[File:Rifle Springfield M1903.jpg|250px]][[File:Garand.jpg|250px]][[File:Stgw 90.jpg|250px]][[File:AUG A2 407mm klein 03.jpg|200px]]|caption='''上:''' ベーカーライフル、19世紀のライフル<br />'''上から2番目:''' [[スプリングフィールドM1903小銃|M1903]]、20世紀初頭のボルトアクションライフル<br />'''上から3番目:''' [[M1ガーランド]]、半自動小銃<br />'''上から4番目:''' [[SIG SG550]]、アサルトライフル<br />'''上から5番目:''' [[ステアーAUG]]、[[ブルパップ方式]]アサルトライフル|align=right}}
 
[[19世紀]]中頃に火薬と弾丸は銃口から装填する前装式(先込め式)は後装式(元込め式)に取って代わられていった<ref name="nipo"/>。19世紀には弾薬にも変化が現れた。従来の弾薬は、弾丸、発射薬、雷管とバラバラだったのが、新たに発明された弾薬は、薬莢(カートリッジ)とよばれる軟金属製のカップで一体化された。この薬莢によって後装式銃の製造は容易になった<ref name="nipo"/>。特に[[1860年代]]にフランスやイギリスで軍用弾薬の高い圧力にも耐えられるセンターファイアー・カートリッジが開発されると以降はこれが弾薬の主流となり、現在に至るまで使用され続けている<ref name="nipo"/>。弾薬の一体化で後装式単発銃のみならず、手動式の連発銃、自動的に弾薬を再装填する自動装填式銃(セミオートマチック・ライフル)、連続して射撃できる自動銃(オートマチック・ライフル、フルオートマチック・ライフル)、さらには[[機関銃]](マシンガン)の製造も可能となっていく<ref name="nipo"/>。
マッチロック式の欠点を克服するために、[[ホイールロック式]](歯輪式、英:Wheel lock)が開発された。引き金を引くと[[黄鉄鉱]]片に押しつけた[[歯車]]状の[[やすり]]が[[ぜんまいばね|ゼンマイ]]の力で回転してこすれ合い、火花を発生させて火皿の点火薬に着火する。ホイールロックは構造が複雑なため信頼性に乏しく、また高価であったため、兵器としてはあまり普及せず<ref>学研「歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編」p13 1995年10月1日第1刷</ref>、貴族の[[決闘]]用などに用いられた。
 
その後に登場したのが[[瞬発式火縄銃]]の機構を改良して生まれた[[フリントロック式]](燧発式、英:Flint lock)で、引き金を引くと、[[火打石]]が強力な[[ばね]]の反発力で火蓋に取り付けられた鋼鉄製の火打ち金に倒れこみ、火花を発生すると同時に、火蓋が開いて火皿の点火薬に着火する。この方式は広く各国の軍隊に普及した<ref>学研「歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編」p14 1995年10月1日第1刷</ref>。
 
日本においてこのフリントロック方式は全く普及しなかった。その理由として、品質のよい火打ち石=燧石(すいせき、フリント〈英:flint〉)が産出できなかったことと、それに伴い発射に充分な火花を得るためハンマーに当たる部分のバネを強くする必要があり、反動とぶれにより命中率が顕著に低下したことが挙げられる。また高温多湿で雨の多い日本では、フリントロック方式の方が生火を使うマッチロック方式より実用性に欠けたためと、当時、日本が[[江戸時代]]に突入し、「入り鉄砲に出女」に象徴される[[幕府]]の厳しい銃規制と、天下太平の世になってフリントロックのような、新型銃器を導入する必要性がなくなったせいでもある。
 
[[雷酸水銀(II)|雷汞]](らいこう)が発明されると、これを銃器の撃発に応用する試みが多くの人々によってなされたが、その決定版となったのが[[パーカッションロック式]](雷管式、英:Percussion lock)である。銃身の後端から伸びた細いニップルと呼ばれる火門が開いた管の先端に、パーカッションキャップ([[銃用雷管]])と呼ばれる雷汞を詰めた雷管をはめ込み、引き金を引くとハンマーが落ちて雷管を叩き、雷汞が発火して発射薬に着火する仕組みである。火皿を経由しないのでと引き金を引くと遅発せずに発砲が可能で、銃口を除けば開口部がなくなったため、悪天候時に耐性が増し、発射が天候の状態に左右されなくなった。パーカッション式の普及により[[アメリカ]]では連発火器として[[ペッパーボックスピストル]]が大流行し、その後、コルトの雷管式リボルバーは[[南北戦争]]と西部の開拓に広く使用された。
 
1871年に製品化されたドイツのマウザー・[[ボルトアクション方式]]小銃は薬莢を使用した後装式銃で最も特筆される製品となり、以降続々とその改良型が考案されて世界各国にコピーされ、[[第二次世界大戦]]が終わるまで各国の軍用銃の主流を占めた<ref name="nipo"/>。
この[[19世紀]]頃に[[椎の実弾|ミニエー弾]]が発明され、その影響から銃身へ[[施条]]を施すのが一般化し、従来の滑腔銃に比べて命中率は格段に向上する。
 
[[1884年]]にはフランスで[[無煙火薬]]が発明された。これにより発射煙で視界が妨げられることがなくなり、弾丸を高速で発射できるので、8ミリ程度の小さな弾丸口径で弾薬を計量に製造することも可能となった。1886年にフランスは世界に先駆けて無煙火薬の口径8ミリ弾薬を軍用に採用。その後10年間に世界各国も採用し、弾薬を口径6.5から8ミリに小さくして軽量化させた<ref name="nipo"/>。弾薬軽量化で自動銃の研究も進み、19世紀末には自動装填式拳銃(セミオートマチック・ピストル)や機関銃が実用化された<ref name="nipo"/>。
銃が[[前装式|マズルローダー(前装式)]]から[[後装式|ブリーチローダー(後装式)]]に変わると発射ガスの漏洩を防ぐために[[実包]](金属薬莢)が考案され、これを元に実包式の連発銃が開発される。これは弾倉を備え、特定の動作で弾薬の再装填が可能な銃であり、その完成版と言えるのがモーゼルの[[ボルトアクション方式]]である。
 
[[第一次世界大戦]]では敵塹壕への突撃のために、射撃しながら前進できる空冷式で軽量の軽機関銃(ライトマシンガン)、拳銃弾を連発できて塹壕内で動きやすい小型サブマシンガン(マシンピストル・マシンカービン・機関短銃)も新兵器として登場した<ref name="nipo"/>。また第一次世界大戦を契機として軍用銃器の中心であるボルトアクション小銃も命中精度よりも扱いやすさが重視されるようになり、110ミリほどに短くなった<ref name="nipo"/>。
やがて[[無煙火薬]]の開発により、自動火器の信頼性が向上して単銃身から弾を連射する[[機関銃]]が誕生し、[[日露戦争]]や[[第一次世界大戦]]などで猛威を振るった。[[自動拳銃]]と[[短機関銃|サブマシンガン]]の開発も行われ、それら自動装填機構を小銃に応用して[[半自動小銃]]を開発する研究が進み、やがて[[第二次世界大戦]]時の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で使用された[[M1ガーランド]]が最初に大規模に使用された半自動小銃となった。
 
第二次世界大戦中にはドイツが[[ラインメタル/マウザー・ヴェルケMG34機関銃|MG34機関銃]]や[[グロスフスMG42機関銃|MG42]]機関銃などの、組み替えて防衛用・攻撃用に用途を変えられるシステム機関銃(システムマシンガン)を使用。このような組み替えによって異なった用途に対応可能な兵器をシステムウェポンとよび、現代の機関銃はドイツのシステム機関銃の大きな影響のもとにある<ref name="nipo"/>。また第二次世界大戦半ばからドイツは[[StG44 (突撃銃)]]という[[アサルトライフル]]を開発・使用。これは多くの弾薬が装填可能であり、全自動連射と半自動連射の選択が可能であり、高い敵制圧力があった<ref name="nipo"/>。これをドイツ軍から鹵獲した各国でアサルトライフル研究が進み、戦後の[[1947年]]には[[ソ連]]がドイツの突撃銃を模した[[AK-47]]ライフル(カラシニコフ・オートマチック1947年型)を開発して配備。対抗して[[西側諸国]]でも軍用ライフルに突撃銃を採用するようになった<ref name="nipo"/>。中でもアメリカが[[ベトナム戦争]]中に採用した[[M16自動小銃]]は、5.56ミリ口径で重量12グラムの弾丸を1000メートル毎秒の高速で発射できる設計だった<ref name="nipo"/>。
[[ナチス・ドイツ]]では[[アサルトライフル]][[StG44]]を開発した。これは反動を抑えるために拳銃弾と小銃弾の中間的な規格を持った短実包を使い、半自動小銃とサブマシンガンの両方の特性を持たせたセミ・フル兼用の自動火器である。ドイツの影響を受けた[[ソビエト連邦|旧ソ連]]では同様な能力を持つ[[AK-47]]が採用されたが、火力信奉のアメリカは[[スプリングフィールドM14|M14]]のような、フル規格の小銃弾を用いる[[バトルライフル]]を使い続けた。しかしM14は発射時の強い反動故に、フルオート射撃時の命中率が低いものだった。これが原因で[[ベトナム戦争]]においてM16など小口径・低反動の5.56mm弾を使用するアサルトライフルを主力に切り替えることになる。
 
小口径高速弾は、従来の弾薬に比して極めて軽量であり、大量の弾薬を消費する現代戦に向いているため、現代の軍用銃のほとんどは類似の小口径高速弾薬を使用している<ref name="nipo"/>。現代の軍用小銃は、全自動連射と半自動連射に切り替えることができ、一時に多数の小口径高速弾薬の装填が可能であり、軽合金やプラスチックを多用することで軽量小型化されている傾向にある<ref name="nipo"/>。
現在、アサルトライフルが歩兵銃の主流となっている
 
== 銃の分類 ==