「ウィリアム・シェイクスピア」の版間の差分

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=== ロンドンの劇壇進出 ===
[[ファイル:Shakespeare Globe Theater 1 db.jpg|thumb|200px|left|ロンドンに復元された[[グローブ座]]|代替文=]]
1592年ごろまでにシェイクスピアはロンドンへ進出し、演劇の世界に身を置くようになっていた。当時は、[[エリザベス朝演劇]]の興隆に伴って、劇場や劇団が次々と設立されている最中であった。その中で、シェイクスピアは俳優として活動するかたわら次第に[[脚本]]を書くようになる。1592年にはロバート・グリーンが著書『三文の知恵』(''"Greene's Groatsworth of Wit"'')において、「<ins>役者の皮を被ってはいるが心は虎も同然の</ins>、我々の羽毛で着飾った成り上がりのカラスが近ごろ現われ、諸君の中でも最良の書き手と同じくらい優れた[[ブランク・ヴァース]]を自分も紡ぎうると慢心している。たかが何でも屋の分際で、自分こそが国内で唯一の舞台を揺るがす者(Shake-scene)であると自惚れている」と書いており、他の作家から中傷されるほどの名声をこのときにはすでに勝ち得ていたことが知られている<ref group="注">グリーンはシェイクスピアを名指しで批判しているわけではないが、下線部が『[[ヘンリー六世 第3部]]』第1幕第4場のヨーク公のセリフ “O tiger's heart wrapt in a woman's hide!”(「女の皮を被っていても、心は虎も同然だ!」)をもじって引用していることや、「舞台を揺るがす者」 ("Shake-scene") がいかにもシェイクスピアを連想させる名であることから、シェイクスピアに対する非難であることはほぼ間違いないとされる。一方で「成り上がりのカラス」はシェイクスピアではないと解釈する研究者もある。河合祥一郎はその著書『シェイクスピアの正体』(新潮文庫、2016年)で一章を割いて、通説のシェイクスピアとする解釈を批判し、グリーンが批判した対象は同時代の俳優{{仮リンク|エドワード・アレン|en|Edward Alleyn}}だと結論づけている。 </ref>。