「相互安全保障法」の版間の差分

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== 概要 ==
米国は[[1947年]]6月に「欧州復興計画([[マーシャル・プラン]])」を提唱し、翌年4月に援助実施機関「[[経済協力局 (アメリカ合衆国)|経済協力局]] (Economic Cooperation Administration, ECA) 」を設置した。以後米国は100億ドルを越える援助を供与したが、[[朝鮮戦争]]の勃発([[1950年]]6月)を大きな契機として、米国の援助政策は軍事援助優先型に移行した。
 
1951年6月のECA第13次報告は「諸国自らの努力と1948年以来の経済援助を通じて獲得された利益を維持しかつ増大せしめながら、拡大する経済の枠内で西欧の[[再軍備]]を支援していくことが、経済協力局の目的である」<ref>[[板垣與一]]編、佐藤和男訳『アメリカの対外援助―歴史・理論・政策』 [[日本経済新聞社]]、1960年、109頁。</ref>と、米国が国策として軍事援助を推進することを明言した。同年[[10月10日]]、相互安全保障法が成立し、軍事援助約60億4213万ドル、経済援助約14億4040万ドル、計約74億8279万ドルの支出が承認された<ref>[http://digicoll.library.wisc.edu/cgi-bin/FRUS/FRUS-idx?type=goto&id=FRUS.FRUS1951v01&isize=L&page=425 Current Economic Developments], ''[[合衆国の対外関係|Foreign Relations of the United States]] 1951, Vol. I'', p. 425. [http://artandhistory.house.gov/highlights.aspx?action=view&intID=175 ''The Mutual Security Act of 1951''], Office of the Clerk of the U.S. House of Representatives. 同法への署名に際するトルーマンの声明の原文は[http://www.trumanlibrary.org/publicpapers/index.php?pid=466&st=&st1= トルーマン図書館内資料]を、邦訳は[[:s:ja:1951年相互安全保障法への署名に際するハリー・S・トルーマンの大統領声明|ウィキソース]]を参照。</ref>、マーシャル・プラン援助は同法に基づく援助に吸収された。