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'''雲州'''(うんしゅう)は、[[中国]]にかつて存在した[[州]]。[[唐|唐代]]から[[遼|遼代]]にかけて、現在の[[山西省]][[大同市]]一帯に設置された。
#転送 [[雲州 (内モンゴル)]]
 
== 概要 ==
[[623年]]([[武徳]]6年)、唐により[[隋]]の[[馬邑郡]][[懐仁市|雲内県]]恒安鎮の地に'''北恒州'''が立てられた。[[624年]](武徳7年)、北恒州は廃止された。[[640年]]([[貞観 (唐)|貞観]]14年)、[[朔州]]の北の定襄城から[[雲州 (内モンゴル)|雲州]]と定襄県がこの地に移された。雲中県は廃止された。[[682年]]([[永淳]]元年)、雲州と定襄県は[[突厥]]に攻め落とされて廃止され、その地の民衆は朔州に移された。[[730年]]([[開元]]18年)、定襄県が再び置かれた。[[732年]](開元20年)、再び雲州が置かれた。定襄県は雲中県と改められた。[[742年]]([[天宝 (唐)|天宝]]元年)、雲州は[[雲中郡]]と改称された。[[758年]]([[乾元 (唐)|乾元]]元年)、雲中郡は雲州の称にもどされた。雲州は[[河東道]]に属し、雲中県を管轄した<ref>『[[旧唐書]]』地理志二および『[[新唐書]]』地理志三</ref>。
 
[[1044年]]([[重熙]]13年)、遼により雲州は[[大同府|西京大同府]]と改められた<ref>『[[遼史]]』興宗紀二および地理志五</ref>。
 
== 脚注 ==
<references />
 
{{唐朝の行政区分}}
 
{{DEFAULTSORT:うんしゆう}}
[[Category:かつて存在した中国の州]]
[[Category:唐朝の行政区分]]
[[Category:山西省の歴史]]