「ルイ8世 (フランス王)」の版間の差分

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1223年のフィリップ2世の死により即位し、[[ユダヤ人]]から借金することを禁じる布告を出したが、大諸侯である[[シャンパーニュ伯]][[テオバルド1世 (ナバラ王)|ティボー4世]]はこれに従わず対立した。
== アルビジョア十字軍への参加と死去 ==
 
[[Image:Louis VIII le Lion (Jean-Fouquet).jpg|right|thumb|ルイ8世の死去を描いた15世紀の絵画。左側に[[アルビジョア十字軍]]における[[アヴィニョン]]攻略戦、右側に[[モンパンシエ]]城にて[[1226年]][[11月8日]]に死去したルイ8世、その右下に[[ルイ9世]]の即位の様子が描かれている([[ジャン・フーケ]]画、フランス大年代記(1455年 - 1460年))。]]
[[1224年]]にアルビジョア十字軍の指導者だったアモーリ・ド・モンフォールから南仏([[ラングドック]])の支配権を譲り受けると、[[1225年]]に[[トゥールーズ]]伯[[レーモン7世 (トゥールーズ伯)|レーモン7世]]を再び[[破門]]に追い込み、1226年に新しい十字軍を率いて[[ラングドック]]から[[オーヴェルニュ]]、さらには当時[[神聖ローマ帝国]]領だった[[プロヴァンス]]の征服に乗り出した。