「甲賀流」の版間の差分
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「伊賀との関係」を立項するなどして加筆、出典補強。 |
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===近現代===
甲賀古士の殆どは、[[大政奉還]]から後に[[平民]]としての身分に落ち着いたとされている。諜報活動をしながら[[山伏]]として守り札を売ったり、副業として『萬川集海』に記載のある忍薬(「飢渇丸」「舟不酔薬」等)やその他の薬を売り歩いたりしており、[[医学]]や製薬などに詳しかった。[[1884年]]([[明治]]17年)に配札禁止令が出て本業ができなくなって売薬に専念し、配置売薬をするようになった。現在も甲賀地方には[[医薬品]]やドリンク剤などの会社や工場が多く見られる。商いによって成功した一部の薬屋は全国に規模を拡大していったため、[[近江兄弟社]]や[[日新薬品工業株式会社]]など
== 研究 ==
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