「常福寺 (四国中央市)」の版間の差分

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当寺院は四国中央市東部に位置し[[国道192号]]南側に隣接し、[[三角寺]]および[[仙龍寺]]から[[雲辺寺]]へ向かう歩き遍路道沿いにあるため、多くの遍路が立ち寄る。
 
伝承によれば[[平安時代]]初期の[[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])邦治居士(ほうちこじ)が地蔵菩薩を祀り当地に庵を構えたことに始まるという。更に伝承では、[[弘仁]]6年([[815年]])[[四国]]巡錫中の[[空海]](弘法大師)が当時この地で熱病が流行しているのを聞き、杖をもってその邪気を地中に封じ込めたという。空海が立てた杖から[[ツバキ|椿]]が芽を出しやがて大木となったという。その伝承より「椿堂」と呼ばれるようになった。また、大師の霊徳に深くうたれ喜び踊りまわり、それが毎年8月24日のお礼踊りと称し踊り続けられていたが大正初期より止まってしまったという。そのお礼踊り和讃を下記す
 
常福寺は、当初少し下った新田神社の横にあったが、火災により石川部落に再建されるも[[江戸時代]]中期の[[宝暦]]11年([[1761年]])再び全焼した。このため、椿堂の場所に合併復興し「椿堂常福寺」とした。
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* 非核不動明王石像:昭和31年(1956年)建立。火伏不動尊と呼ばれていたが、[[核兵器]]廃絶を願い呼び名を非核不動尊に改めた。
* おさわり大師:上記椿の袂に鎮座する石造の大師像。各々の病に右手で大師石像を左手で自分の痛いところを触り願う。
* 句碑:[[高浜虚子]]「風鈴の一ツ鳴りたる涼しさよ」、[[川端龍子]]「明月や滴るごとき椿の葉」など全11基ある。
* 双体道祖神:先代の中にこれらを多く収集した住職がいて、現在は3対が残っている。
* 庫裡
== 寺宝 ==