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== 概要 ==
[[File:Kusakabe Kimbei - Writing Letter (large).jpg|thumb|200px|行灯を開き、火皿が見える状態(写真右)]]
行灯が普及したのは[[江戸時代]]である。それ以前は、台の上に火皿を乗せただけで、風覆いのない[[灯明]]皿が用いられていた。
行灯は風よけの覆いで、火皿を覆った構造である。
照明器具とはいっても現在のものとは比較にならないほど暗いもので、60ワット[[電球]]の50分の1、10ワット電球の7分の1程度といわれている。▼
[[竹]]、[[木材|木]]、[[金属]]などで作られた枠に[[和紙]]を張った風よけの覆いで四方を囲う。その内部の四角形の空間に置いた火皿に燃料としての[[油脂]]を満たし、[[木綿]]や[[イグサ]]などの灯心に点火して使用する。
燃料として[[蝋燭]]を使用するものもあったが当時の蝋燭([[和ろうそく]])は極めて高価であり、それよりも安価な[[菜種油]]など[[植物油]]が使用された。だが、[[長屋]]住まいの庶民には植物油は高価な品であり、[[イワシ]]油など[[魚油]]を燃料として用いた。魚油は安価だが、燃やせば煙や悪臭が発生する欠点がある。([[化け猫]]が行灯の油をなめるという伝説は、行灯の燃料に魚油が使われていた事実に由来すると考えられている<ref>[http://www.excite.co.jp/News/bit/00091110363307.html 日本の化け猫はなぜ行灯の油をなめる?(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース]</ref>)。さらに下層階級では魚油すら購入できず、「暗くなったら寝る」という有様だった。
明治時代に入ると[[ランプ (照明器具)#石油ランプ|石油ランプ]]が普及し始め、菜種油の行燈は姿を消していったが、地方(富山県の農村部)では明治20年代から30年代まで利用されていたとされる<ref>上市町誌編纂委員会編「上市町誌」p568 1970年</ref>。
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