「文禄・慶長の役」の版間の差分

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=== 碧蹄館の戦い ===
名将軍として誉れ高い李如松の軍は総兵力4万3,000人で、李家の子飼の[[私兵]]によって構成されており、精鋭無比の軍として知られていた<ref name="kasayakuroda"/>。1592年(文禄元年)12月23日、鴨緑江を渡って朝鮮に入り、平壌に向かった。
 
翌文禄2年(1593年)正月、李将軍は、使いを平壌郊外の順安に派遣し、明朝廷が講和を許し、使者がやがて到着することを小西軍に伝えた。これに喜んだ小西は3日、竹内吉兵衛ら使者20名を順安に派遣するが、この講和そのものが罠だった。竹内らは途上で伏兵によって生け捕りにされる。一部が突破に成功し小西に伝える。当時、平壌城には、小西ほか宗義智、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、五島純玄ら配下の15,000の兵がいた{{Sfn|旧参謀本部|1995|p=209}}。