「ホレィシォ・ネルソン・ジャクソン」の版間の差分

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ジャクソンは、同行のメカニック兼ドライバーを探した。まだ若い22歳のセワール・クロッカー(Sewall K. Crocker:1881年-1913年4月22日)を説得し旅の供とする。クロッカーは[[ワシントン州]][[タコマ]]の生まれで、[[競輪選手]]としてお金を得ていたが、[[カリフォルニア]]に移りジャクソンと出会ったときはガソリンエンジン工場で技術者として働いていた。クロッカーは『[[ウィントン・モーター・キャリッジ・カンパニー]]』の車を使うことを提案。ジャクソンは、かなり使い込まれたウィントンの中古を購入し、ホームタウンの名『バーモント』と名付ける。『バーモント』は20馬力2気筒エンジンを載せた2人乗りツーリングカーだった。最高時速30マイル(48キロ)。そして、オープンカーである。屋根はない。風防もない。もちろんサイドウインドウも。
 
妻に別れを告げ、サンフランシスコの[[パレス[[ホテル]]を発ったのが5月23日。[[コート]]、あて布で補強した服一式、[[寝袋]]、[[毛布]]、炊事道具、水袋、[[斧]]、[[シャベル]]、[[望遠鏡]]、工具類、スペアパーツ、予備の[[ガソリン]]缶、[[エンジンオイル|オイル]]缶、[[カメラ]]、[[ライフル銃]]、[[散弾銃|ショットガン]]、[[ピストル]]、そして150フィート(約46m)の麻縄(ヘンプロープ)が付いた滑車装置(ブロック&タックル)を携帯した。この滑車装置は、溝にはまった時、車を引っ張り出すのにかなり頻繁に使ったという。
 
ジャクソンは、[[ウィントン社]]の創業者[[アレグザンダー・ウィントン]]が[[サウスウエスタン砂漠]]を横切るのに失敗した話を知り、もっと北側のルートを取るようにした。それは[[サクラメントバレー]]から[[オレゴントレイル]]へ抜けるルートで、これなら[[ロッキー山脈]]の高所も通らなくてすむ。
 
== 旅立ち ==
3,831

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