「高坂昌元」の版間の差分

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その後、昌元は上杉景勝に属したが、同年7月に相模国の後北条氏が信濃[[佐久郡]]へ出兵すると、昌元は[[北条氏直]]に内通する。『[[武徳編年集成]]』によれば、昌元は武田遺臣の[[真田昌幸]]により調略されたという。昌元内通の際に後北条氏からの使者が上杉方に捕縛されたため内通が露見し、7月13日に景勝の陣所を尋ねた昌元は誅殺された。これにより、高坂氏嫡流は滅亡した。
 
さらに[[慶長]]5年([[1600年]])3月、初代[[川中島藩]]主として北信濃に入った長可の弟、[[森忠政]]によって信濃に残っていた昌元の一族は残らず探し出され18年前に長可の信濃撤退を妨害した罪で一族全員が磔刑に処された[[森家先代実録)という俗説もあるが、実際に[[川中島藩]]が成立したのは慶長5年9月に発生した[[関ヶ原の戦い]]の後の論功行賞であるため、この内容は信憑性にかける
 
== 登場する作品 ==