「ハリー・ロビンズ・ハルデマン」の版間の差分

日本語の細かい修正
m (脚注リスト設置)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
(日本語の細かい修正)
[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]] (UCLA) 卒業。
 
広告会社 [[:en:JWT|J・ウォルター・トンプソン]]の重役から、1969年にニクソン大統領の首席補佐官に就任、すぐにアメリカで2番に影響力のある人物と考えられるようになった。ハルデマンは、ニクソンの厳しい門衛としての評判をっていた。
 
彼と、内政担当大統領補佐官の[[ジョン・アーリックマン]]は友人であり親しい共犯者だった。ともに「ドイツ人」「ベルリンの壁」の異名で知られたデュオで、ニクソン大統領職において最も忠実で信頼された補佐官だった。
 
ニクソンからの評価の一端は、次の通りである。「私が大統領のときは、ハルデマンが冷酷無情の男と評判をった。理由の一つは、私が直接には手の下せない首切りを代行してくれたからである。」<ref>リチャード・ニクソン著『指導者とは』(文春学芸ライブラリー)441頁</ref>
ニクソンからの評価の一端は、次の通りである。
「私が大統領のときは、ハルデマンが冷酷無情の男と評判をとった。理由の一つは、私が直接には手の下せない首切りを、代行してくれたからである。」<ref>リチャード・ニクソン著『指導者とは』(文春学芸ライブラリー)441頁</ref>
 
彼は[[ウォーターゲート事件]]の重要参考人として1973年4月30日に辞職を強いられた。ハルデマンは1975年2月21日に証拠隠滅の共同謀議があったとして有罪判決を受け、18か月服役した。
 
1978年、ウォーターゲート事件を巡るニクソン政権の内幕を描いた "The End of Power" (「権力の終焉」)を上梓。