「NBC交響楽団」の版間の差分

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彼らは[[1954年]]10月27日、カーネギー・ホールにて再出発のコンサートを行った。当夜、彼らは指揮台を空席としてオーケストラのみで演奏を行った。曲目は[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]の序曲『[[ローマの謝肉祭 (序曲)|ローマの謝肉祭]]』、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]『[[くるみ割り人形]]』組曲、[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]の交響曲『[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|新世界より]]』、そしてアンコールとして[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』第1幕への前奏曲であった。これらの決して平易でない曲目を、コンサートマスターのわずかな合図だけによって演奏を行った彼らの腕前は、トスカニーニに17年間鍛えられただけあって確かなものだった。
 
しかしバックとなる組織を失い、首席指揮者もいない新オーケストラが立ち行かなくなるのも時間の問題だった。彼らはトスカニーニにたびたび客演での指揮を懇請したが、彼にはその気力も体力も残されていなかった。1957年のトスカニーニの死の前後から、若い楽団員の中には他のオーケストラに安定した職を求め退団する者が相次いだ。[[アルフレッド・ウォーレンスタイン]]や[[イーゴリ・マルケヴィチ]]の客演によって楽団員のレヴェルこそ高かったものの、昔日の栄光を忘れられない団員を中心に活動は9年間も継続され(うち[[1955年]]には著名オーケストラとして初の来日公演も行っている<ref>若き小澤征爾は来日したこの交響楽団の音を聴いて衝撃を受け、有名な欧州音楽修を最終的に決意したという。(小澤征爾『ボクの音楽武者修行』(音楽之友社、1962年)の記述)</ref>)、「死ぬことを拒んだオーケストラ」(the orchestra that refused to die)なる異名まで頂戴したが、最終的には1963年にシンフォニー・オブ・ジ・エアは正式に解散し、NBC交響楽団以来26年の歴史にピリオドを打った。
 
== 放送 ==
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