「島津忠将」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
23行目:
| 兄弟 = [[御南]]([[大隅]][[肝付兼続]]室)、[[御隅]]([[樺山善久]]室)、[[島津貴久|貴久]]、'''忠将'''、女([[種子島時堯]]および[[肝付兼盛]]室)、女([[島津義久]]室)、[[島津尚久|尚久]]、女(養女:種子島時尭の女)
| 妻 = [[佐多忠成]]の女
| 子 = 女([[入来院重豊 (14代当主)|入来院重豊]]の室)、'''[[島津以久|以久]]'''、女([[島津忠長 (宮之城家)|島津忠長]]の室)
| 特記事項 =
}}
29行目:
 
== 生涯 ==
[[永正]]17年([[1520年]])、相州家3代([[伊作家]]10代および相州家3代当主の島津忠良の子として誕生した。
 
兄の[[島津貴久]]が島津宗家を継いだため、薩摩島津氏の分家の相州家を継ぐ。武勇に長けた人物で、貴久をよく補佐して各地を転戦。領内統一戦のほとんどに参加し武功を挙げた。[[天文 (元号)|天文]]17年([[1548年]])、[[大隅国|大隅]][[肝付氏]]・[[日向国|日向]][[伊東氏]]の備えとして要衝の大隅[[清水城 (大隅国)|清水城]]の城主となる。