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== 建設予算 ==
計画初年である1939年より完成予定年である1950年までの11年間にて、年に国家予算の約4%にあたる5億マルク(即ち総額55億マルク)を拠出・資金投入する見積もりが立てられていたとされる<ref name
膨大な支出に対する批判について、ベルリン市関係者に対しては既存首都再開発案とは別案([[メクレンブルク]]遷都計画案)の存在も示唆して牽制を行なったり、或いは部分的に別名目化可能な工事には個別の財源から支出させる(例えばベルリン鉄道網再編成に関する工事は[[ドイツ帝国鉄道]]予算から、交通整備に関する工事はベルリン市予算から)事で国家財源支出負担額を減らす等、問題化を避ける方策を実行している。フリードリヒ通りに取って代わる新たな南北縦貫メインストリートについても建設予定地の大半は比較的地価が低く、沿道に社屋建設を望んでいた企業からも支持された<ref name = 武田/>。
;フォルクス・ハレ(別名「[[聖杯]]神殿」)([[:de:Große Halle]])
[[File:Größenvergleich Große Halle - Berliner Schloß (Nordseite).jpg|thumb|サイズ比較:フォルクス・ハレ「大ドーム」とベルリン王宮「大ホール」]]
[[File:Berlin Spreepark UAV 04-2017 img5.jpg|thumb
:新南北縦貫メインストリートの端([[シュプレー川]]に[[ノルトハーフェン川]]がT字状に繋がる地点および現:[[シュプレーボーゲン公園]]敷地地点)にはドーム型集会ホール「フォルクス・ハレ(邦訳:国民会議場)」が威容を誇る。1,200人の議席がある国会議事堂(当時の国会は議員席は580席で足りるが、ドイツとは異なる国籍を持ちドイツ国外に居住しているゲルマン系諸民族代表議員達も参加する事を展望していた)なども予定されていた。
:;クルトゥアパーク・プレンターヴァルト
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== 完成部分 ==
=== 現存する建物(現在、閉鎖中の建物も含む) ===
* ヘルマン・ゲーリング街 - 現在の[[ゲルトルート・コルマー街]]。
* [[戦勝記念塔 (ベルリン)|戦勝記念塔]] - [[国会議事堂 (ドイツ)|国会議事堂]]前の広場から[[ティーアガルテン]]中央部へ移転。
[[File:Berlin Tiergarten Siegessaeule.jpg|thumb|
*[[在ドイツ日本国大使館|在ドイツ日本大使館]]([[1942年]]完成) - 戦後は[[西ドイツ]]の[[首都]]が[[ボン]]になったこともあり、長い間使用されずに放置されていた。[[1985年]]より壁面保存の形で修復されて[[ベルリン日独センター]]として使用後、首都機能のベルリンへの復帰に伴い、再度増改築の上で[[2001年]]より再び日本大使館として使用されている。
* 旧[[ベルリン・テンペルホーフ国際空港]] - 本館ターミナル部分はゲルマニア計画に基づき設計・建築され、戦後から[[2008年]][[10月31日]]の閉鎖までそのまま活用された。
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