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[[1944年]](昭和19年)6月時点での人口は、日本人15,700名(軍人を除く)、朝鮮人2,700名、チャモロ人26名であった。
 
=== 太平洋第二次世界大 ===
[[File:B-29s of the 462d Bomb Group West Field Tinian Mariana Islands 1945.jpg|thumb|240px|日本に向かうB-29]]
 
テニアン島での戦争については[[テニアンの戦い]]を参照。
 
[[太平洋大東亜戦争]]中は島北部に当時、[[南洋諸島]]で一番大きい飛行場である[[ハゴイ飛行場]]があったことから日本軍の重要な[[軍事基地|基地]]となり、軍人の[[駐屯]]は、陸海軍合わせて約8,500人に達した。
 
[[アメリカ軍|米軍]]はテニアンの[[戦略]]的価値の高さに注目し、[[1944年]](昭和19年)7月24日に北部のチューロ海岸から[[上陸作戦|上陸]]、8月2日に同島を[[占領]]した([[テニアンの戦い]])。その後、ハゴイ飛行場は拡張整備され、島の東部にはウエストフィールド飛行場(現[[テニアン国際空港]])が建設されて、本格的な[[日本本土空襲]]を行う基地となった。