「フランソワ・フィヨン」の版間の差分

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m →‎経歴: 37年5千→37万5千
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|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = [[ル・マン大学|メーヌ大学]]<br />[[パリ大学|パリ第5大学]](パリ=デカルト大学)
|前職 = 議員秘書
|現職 =
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スブレのブリ家の[[ドミニク・ガルゾー・ド・ビルパン|ドミニク・ドゥ・ヴィルパン]]のいとこに当たる[[バスク国 (歴史的な領域)|バスク]]史家アニー・スレと、[[ヴァンデ県|ヴァンデ]]出身の公証人のミシェル・フィヨンの長男として生まれる。3人の弟、ピエール、ドミニク、アルノーとともに、サルト県の小さな町で育つ。ピエールは2014年現在[[フランス西部自動車クラブ]]会長、ドミニクはジャズ・ピアニスト。アルノーは交通事故で亡くなっている。[[ル・マン]]のノートルダム・ドゥ・サント=クロワ高校を卒業、[[1972年]]に哲学の[[バカロレア]]を取った。
 
フィヨンはその後、[[ル・マン大学|メーヌ大学]]でクリスティアン・フィリップ(政治家)のもとで学び、[[1976年]]に公法のマスターを取得した。翌年、[[パリ大学|パリ第5大学]]で公法の博士課程研究免状を、また国立政治学研究院(Fondation nationale des sciences politiques)で政治学の博士課程研究免状を得た。
 
その後、ジャーナリストになるために、3年間[[フランス通信社|フランス通信(AFP)]]で研修を受ける。早くに政治家としてのキャリアを開始する。
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[[Category:バスク系フランス人]]
[[Category:ル・マン出身の人物]]
[[Category:パリ大学出身の人物]]
[[Category:1954年生]]
[[Category:存命人物]]