「デニス・ウィルソン」の版間の差分

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1969年に[[シャロン・テート]]殺害事件が起こるが、当時デニスは[[チャールズ・マンソン]]の後見人であった。『[[20/20]]』に収録された「ネヴァー・ラーン・ノット・トゥ・ラヴ」はマンソンの曲をリメイクした物であったが、この一件でマンソンはデニスに対し報復を示唆した。このエピソードはデニスの余生に大きな影響を与えた。
 
1970年、[[モンテ・ヘルマン]]監督の[[ロード・ムービー]]『[[断絶]]([[TWO-LANE BLACKTOP]])』のオーディションに[[ジェ・テイラー]]と共に合格、主役格のメカニック役で出演した。しかし、彼らをミュージシャンという先入観を持って見られるのを嫌った監督の意向で、当時音楽的に絶頂にあった二人の楽曲は採用されず、難解な内容であった映画も興行的に振るわなかったため、デニスはその後、俳優としてのキャリアを追求することはなかった。
 
バンド内でのデニスと[[カール・ウィルソン|カール]]の音楽的進歩はバンドに大きな影響を与え、1980年代にビーチ・ボーイズは「アメリカン・バンド」として再び受け入れられることとなる。しかし、その後のバンドにおけるデニスの音楽的な貢献は、ドラッグやアルコールなどの悪影響もあり、限定的なものに留まった。