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'''乾 新兵衛'''(いぬい しんべえ、[[文久]]2年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]([[1862年]][[3月24日]]) - [[昭和]]9年([[1934年]])[[11月4日]])は、明治期に活躍した日本の実業家。'''乾財閥'''の乾家当主が代々・'''新兵衛'''を襲名している。[[山下亀三郎]]、[[内田信也]]、[[勝田銀次郎]]、[[岡崎藤吉]]とともに「神戸海運五人男」の1人。「日本一の高利貸」と呼ばれた<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065339&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA 舌三寸で四十六万円 故乾新兵衛老から"搾った"昭和天一坊堀川の予審漸く終結]大阪毎日新聞 1934.12.2 (昭和9)</ref>
 
==生い立ち==
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==田中大将事件==
大正5年(1916年)3月4日の衆議院本会議では、[[田中義一]][[立憲政友会|政友会]]総裁をめぐる300万円事件と機密費事件が暴露された。この年1月には、田中総裁にたいして48万円の支払い請求の訴訟がおこされた。政友会入りに先立って田中から300万円調達の依頼をうけ、これを神戸の金貸し'''乾新兵衛'''から引き出すことに成功したという[[佐藤繁吉]]が、約束の報酬の支払いを請求した。これが[[憲政会]]の[[中野正剛]]が提出した緊急動議で、いわゆる「[[陸軍機密費横領問題|田中大将事件]]」である。田中総裁に300万円の政治資金を用立てた町の金融業者として、乾新兵衛は世間の注目を浴びた。
 
==晩年 ==
1930年に渡辺倉庫乗っ取り事件で背任教唆罪として予審判事から起訴され、1932年1月に懲役一年(背任教唆)(求刑一年六月)の判決を受けた<ref name=kobe>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10100534&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA 政界悪を撃つ]時事新報 1934.3.24-1934.4.18 (昭和9)</ref><ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065457&TYPE=HTML_FILE&POS=1 背任教唆で乾氏は懲役一年]大阪毎日新聞 1932.1.27 (昭和7)</ref>。この控訴に加え、数百万円を投じた庄川流疏権問題や千数百万円の北海道土地問題、[[久原房之助]]に対する資金など未解決の問題を抱え弱っている中、[[鈴木喜三郎]]の親戚を自称する[[堀川辰吉郎]]の口車に乗せられて金を詐取された<ref name=kobe/>。渡辺倉庫乗っ取り事件に関しては、1933年3月、東京控訴院は無罪判決を下したが、その後、鈴木喜三郎が乾から金銭を収受したのではないかという疑惑が持ち上がり、1934年2月、乾は大阪地方裁判所検事局斎藤検事宛てに被害顛末上申書を提出し、堀川を詐欺として告訴した<ref name=kobe/>。
 
==家族==