「ノート:後醍醐天皇」の版間の差分

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:* ただし、「その他の功績」でまとめてしまった箇所は、もう少し意味を整理して書き換えたいところです。私の理解では、国や群の下部統治機構の強化=地方分権制に直結するので、ダブつきがあって読みづらいです。その間に武士への全国的な政治権力という文言が出てくるので、中央集権的なのか地方分権的なのか、読んでいて混乱します。さらに、なぜ恩賞としての官位がこの順番で出てくるのかも意味が分かりませんでした。土地の拝領は銭や領民支配にかかわる実質的な話、恩賞は名誉寄りで士気を高める目的。このあたりを整理して、記述する順番の工夫が必要でしょう。
:こんな感じで、まだまだ手を入れられそうではありますが、あまり詳しい領域でもないのでこれくらいにしておきます。あくまで急ごしらえの素案ですので、軽く参考にする程度の扱いにして下さい。--[[利用者:ProfessorPine|ProfessorPine]]([[利用者‐会話:ProfessorPine|会話]]) 2020年7月6日 (月) 04:05 (UTC)
:: {{返}} ProfessorPineさん、ご意見ありがとうございます。第一段落についてですが、この箇所はウィキペディア全体として天皇記事で一貫性を保つ方が好ましく、基本的に[[利用者:Shuricastle]]さんが体裁を管理していらっしゃるかと思います。もしこの部分の体裁を変更したいならば、Shuricastleさんと協議してくださるようにお願いします。もっとも、治天の日付は、Shuricastleさんのフォーマットとは別に、私が独自に追加したものですが、後醍醐天皇の場合は特に、これは第一段落になければならない情報だと思います。なぜなら、高校教科書的には、後醍醐は天皇親政を理想とした君主であるとされており、親政開始日は日本史上重要な日付となるからです。もっとも近年の研究上では、単に院政に移行する適当なタイミングがたまたまなかっただけで、結果的に生涯親政になってしまっただけなんじゃないか、という説もかなり有力のようですが、いずれにせよ鎌倉時代の親政期の統治が重要なのは変わらないので、この情報は第一段落にあるべきだと思います。
:: 他の段落については、おおむねご指摘に同意いたします。ただ、現在のウィキペディアでは、鎌倉時代末期から南北朝時代の記述は、基本的に『太平記』を元にした記事が多く、それらをより実証的なものに修正することに時間がかかっております。文章の推敲も大事だとは思いますが、中々そこまで手が回らないというのが現状です。いずれはProfessorPineさんのご指摘に沿った通りに改稿したいとは思いますが、すぐには着手できない点、ご理解の程よろしくお願いたします。--[[利用者:Senu|Senu]]([[利用者‐会話:Senu|会話]]) 2020年7月6日 (月) 12:08 (UTC)
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