「帰謬法 (修辞学)」の版間の差分

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[[修辞学]]における'''帰謬法'''または'''背理法'''(きびゅうほう、はいりほう、羅:{{lang|la|Reductio ad absurdum}})とは、ある事柄の否定的見解が不条理ないし馬鹿げた結論、あるいは矛盾する結論になることを以て、ある事柄の正しさを主張しようとする論法である{{sfn|佐藤信夫|2006|pp=628-633|loc=「4-3:両刀論法など」}}。もしくは、起こり得る事実や選択(シナリオ)を列挙した上で、それぞれの結論が不条理や馬鹿げた結論になることを以て、それ以外の残ったものが正しいとする論法とも言い換えられる。修辞学者の[[佐藤信夫 (言語哲学者)|佐藤信夫]]の分類では'''残余論法'''(羅:{{lang|la|expeditio}})の一種に分類される{{sfn|佐藤信夫|2006|pp=630-632|loc=「4-3-1-2:残余論法」}}。
 
例えば
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== ギリシャ哲学 ==
帰謬法は[[ギリシャ哲学]]では広く用いられてきた。帰謬法の最古の例は[[クセノパネス]](紀元前570-475年)の風刺詩である<ref name="Daigle">{{cite web | last = Daigle | first = Robert W. | authorlink = | coauthors = | title = The reductio ad absurdum argument prior to Aristotle | work = Master's Thesis | publisher = San Jose State Univ. | date = 1991 | url = http://scholarworks.sjsu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1228&context=etd_theses | format = | doi = | accessdate =August 22, 2012 }}</ref>。クセノパネスは、かつて[[ホメーロス|ホロメス]]は神を擬人化し、人の過ちは神に由来するという主張を批判し、神々は人間と同じ形(form=性質)だと信じていると指摘し述べた。しかしこれにクセノパネスは、もし馬や牛が絵を描くことができるのであれば、それ彼ら神を馬や牛の形(form)神々を描くであろうとに違いない。しかし、ところが神々両方の形を持つことはありえないからこれは矛盾である。よって神を擬人化したり、人の過ちを神々に帰属させるのは誤りだと論じた。
 
ギリシャの数学者たちは帰謬法を使って基礎的な命題の証明を行っていた。[[エウクレイデス]](ユークリッド)と、[[アルキメデス]]は初期の好例である<ref name= "Euclid">{{cite web | last= Joyce | first= David | title = Euclid's Elements: Book I | work = Euclid's Elements | publisher = Department of Mathematics and Computer Science, Clark University | date = 1996 | url = https://mathcs.clarku.edu/~djoyce/elements/bookI/propI6.html | format = | doi = | accessdate = December 23, 2017}}</ref>。
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== 両刀論法 ==
残余論法の類似概念(あるいは上位概念)として、2つの選択肢しかなく、そのどちらを選択しても(不合理であったり矛盾する内容となって)同じような帰結が導き出されるものを'''両刀論法'''(りょうとうろんぽう、羅:{{lang|la|dilemma}})と言う{{sfn|佐藤信夫|2006|pp=628-630|loc=「4-3-1-1:両刀論法」}}。例えば、佐藤信夫は[[塩野七生]]の『[[愛の年代記]]』を元に以下の例を挙げる(下線による強調は佐藤が引いたものの通り)。
 
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