「改良エスペラント」の版間の差分

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ザメンホフは当初彼の改革を6年以上の実践的な経験に照らして言語を再現するための体系的な試みと呼んだが、当時の{{仮リンク|エスペラントコミュニティ|en|Esperanto community}}はそれを全体としてほとんど受け入れなかった。過半数がすべての変更を拒否することに投票した。ザメンホフ自身は後にプロジェクト全体を拒否し、1894年を「無駄な年」と呼んだ。1907年に彼は提案された改革を再発表したい人への許可を明確に拒否した。1929年、ヨハネス・ディエッテレはこの拒否を、ザメンホフの全作品、''Originala Verkaro''の彼のコレクションから改革プロジェクトの詳細を省略した理由として引用した。
 
複数形の '''-oj''' を '''-i''' に置き換える、[[ダイアクリティカルマーク|分音記号]]の削除、形容詞の合意<!-- 数・格の -->一致を削除するなど、1894年に提案されたいくつかの改革は、1907年に始まる言語改革プロジェクト[[イド語]]で使用されたが、これらはエスペラントコミュニティでは受け入れられなかった。1905年にザメンホフの''[[エスペラントの基礎|Fundamento de Esperanto]]''が出版されて以来、ほとんど変化はない。
 
== 主な変更案 ==