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{{出典の明記|date=2008年4月}}
[[ファイル:Tokyo Yoshiwara Taisho Era postcard.jpg|330px|thumb|right|手彩色絵葉書東京吉原(明治大正時代)]]
'''吉原'''(よしわら)は、[[江戸時代]]に[[江戸]]郊外に作られた、公許の[[遊女|遊女屋]]が集まる[[遊廓]]([[吉原遊廓]])、およびその地域の名。現在の[[東京都]][[台東区]][[千束]]四丁目、および三丁目の一部にあった<ref>[[1966年]]に[[住居表示]]が実施されるまで、台東区新吉原江戸町一丁目、新吉原京町一丁目…などの地名が残っていた。なお、東京都[[江東区]]の[[洲崎 (東京都)|洲崎]](現在の[[東陽 (江東区)|東陽]]一丁目)なども同様である。</ref>。現在は日本最大の[[ソープランド]]街として知られる<ref>近隣には日雇い労働者が集まる地域である[[山谷 (東京都)|山谷]]がある</ref>。
'''吉原'''(よしわら)は、江戸時代に江戸郊外に作られた、将軍が変わる度に燃えたとされる街で、上野の不忍池の裏方、現在の鶯谷の付近である。
 
谷根(やね)や、千駄木などの瓦版で、将軍の代替わりから半年ほど遅れて、吉原炎上!と種明かしをされることで有名。
 
特に七夕終わりの人はらいの役目も強く、笹の葉飾りのお焚き上げに火が付いた、が枕詞である。
 
== 起源 ==