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小説『三国志演義』では、河北の住人である'''関定'''の次男として登場する。兄は'''関寧'''。[[182年]]に出生したと設定されている。曹操に[[徐州]]を追われ、散り散りになった[[劉備]]ら三兄弟の再会した関定の屋敷で初登場する。その際、関定が関平を随行させてほしいと頼み込んだため、劉備のとりなしで子がいない関羽の養子となる。
 
劉備の養子[[劉封]]と行動をともにする場面が多く、[[新野県|新野]]に[[夏侯惇]]が攻めて来た際や、[[益州]]の地を取りに行くと称し劉備を殺そうとした[[周瑜]]を防いだ際、また益州攻略戦への従軍などで描かれている。益州攻略戦において[[ホウ統|龐統]]が戦死したため、[[諸葛亮]]たち荊州守備勢の助けを得るため使者として向かい、そのまま関羽と共に荊州に留まる。その後、関羽に従い[[襄州区|襄陽]]攻めなどで活躍するが、呂蒙に攻められ関羽と共に首を斬られている。
 
この『三国志演義』での描写により、[[関帝]](関羽)を祭った[[関帝廟]]の随神として[[周倉]]と共に祭られている。右側に立っているのが関平帝君(関平)である。