「衛臻」の版間の差分

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[[夏侯惇]]が陳留[[太守]]であったとき、衛臻は計吏として登用された。ある時、夏侯惇が衛臻の夫人を酒宴に呼び寄せようとしたが、衛臻は道徳に反する行為だとしてこれを拒絶した。夏侯惇は腹を立て衛臻を拘束したが、後に赦免した。
 
衛臻は後漢朝廷に仕え、黄門侍郎となった。東郡の朱越という人物が乱を起こし、衛臻に協力を求めた。しかし曹操は、亡き衛茲の忠節にかねがね感じ入っていたため、これを信じなかった。[[荀イク|荀彧]]からも信じないよう同様の報告があったため、曹操の衛臻への信頼はさらに強まった。
 
後に衛臻は勅命を受け、貴人を迎えるため曹操政権の下を訪問した。曹操はこの機会に衛臻を自身の配下に留め、上奏して[[丞相]]府に貰い受けさせ軍事に参画させた。亡き衛茲の旧功を改めて賞し、[[関内侯]]を与えた。衛臻は後に戸曹掾となった。
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