「河村たかし」の版間の差分

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|出生地 = [[愛知県]][[名古屋市]][[東区 (名古屋市)|東区]]
|出身校 = [[一橋大学大学院経営管理研究科・商学部|一橋大学商学部]]
|前職 = [[春日一幸|衆議院]]議員]]秘書<br />河村商事専務取締役
|所属政党 =([[民社党]]→)<br />([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→)<br />([[日本新党]]→)<br />([[新進党]]→)<br />([[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→)<br />([[無所属]]→)<br />([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]→)<br />(無所属→)<br />[[減税日本]]
|称号・勲章 = [[学士|商学士]]
|元首 =
|国旗2 = JPN
|職名2 = [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]
|内閣2 =
|選挙区2 = ([[愛知県第1区_(中選挙区)|旧愛知1区]]→)<br />[[愛知県第1区|愛知1区]]
'''河村 たかし'''(かわむら たかし、[[1948年]]([[昭和]]23年)[[11月3日]] - )は、日本の政治家。第32・33・34・35代[[名古屋市|名古屋市長]]、[[地域政党]][[減税日本]]代表。
 
[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](5期)、[[裁判官訴追委員会]]第二代理委員長、[[総務省]]顧問等を歴任した。
 
== 経歴 ==
 
==== 司法試験で挫折 ====
* 大学時代に知り合った妻と1975年に結婚。その後、[[1977年]](昭和52年)ころから[[検察官|検事]]を志すようになる。昼間は家族を養うため家業に従事しつつ、商学部出身であり法律の勉強をしたことがなかったため、仕事後に地元の法律学校([[中京法律専門学校]])の[[夜学]]に通って[[法解釈|法解釈学]]及び[[行政学]]を10年間勉強し、[[旧司法試験]]を9回受験、当時合格率が10%から15%程度だった<ref>[http://www.moj.go.jp/PRESS/090604-1/syutu-gou.html 年度別旧司法試験第二次試験出願者数及び短答式試験合格者数調]法務省。</ref>第二次試験短答式試験には初受験で合格するなど計4回合格し<ref>平成19年3月20日衆議院法務委員会議事録</ref>受験指導予備校での成績も良好だったものの、第二次試験論文式試験でいずれも不合格となり断念<ref>[http://gender.soc.hit-u.ac.jp/career_design08.html 河村たかし氏(昭和47年商・衆議院議員「欧米に女性議員が多い理由(わけ)〜議員非職業化と党議拘束撤廃〜」]一橋大学ジェンダー社会科学研究センター。</ref>。人生再チャレンジをできる社会を実現するため政治家を志すようになり、[[民社党]]委員長[[春日一幸]]の秘書となったが、春日の逆鱗に触れたため、民社党を[[除名]]となった。
 
=== 政界入り ===
* [[1985年]](昭和60年)[[2月22日]]に「500円集めて作ろう庶民の名古屋の会(略称500円庶民の会)」を結成し、名古屋市長選挙に出馬表明するも、うまくいかず同年3月18日に市長選挙への出馬を断念。
* 河村商事株式会社専務等を務める一方、政治家を志して[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に入党する。[[1990年]](平成2年)[[2月18日]]の[[第39回衆議院議員総選挙]]に[[愛知県第1区 (中選挙区)|旧愛知1区]]から、自民党の公認を得られないまま[[保守]]系[[無所属]]・[[宏池会]](宮澤派)新人候補として、当時の本名「河村隆之」の名で立候補するも落選。
* [[1992年]](平成4年)に自民党を離党し、翌[[1993年]](平成5年)[[7月18日]]の[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[日本新党]]公認で旧愛知1区から立候補し初当選した(同区で春日事務所時代の同僚で同じく民社党を除名された[[青木宏之_(政治家)|青木宏之]]も初当選)。同年8月の党役員人事で[[山田宏]]立法調整委員長([[国会対策委員会|国会対策委員長]]に相当)の下で立法調整副委員長に就任した。
* [[1994年]](平成6年)12月、日本新党の[[新進党]]への合流に伴い新進党入り。
* 新進党ではNPOパートナーズ([[1995年]]3月)の座長を務め、新進党NPO法案作成の実質的主導者として[[1998年]](平成10年)[[3月19日]]の「[[特定非営利活動促進法]]」成立に尽力。なお、[[NPO]]の財政基盤強化のため必要不可欠な[[寄付]]金[[控除]]を認める税制改正は、[[与党]]の反対で実現できなかった。
**[[1月25日]]、名古屋市長選挙へ再度かつ今度は「不退転の決意」での出馬表明<ref name="mayorofnagoya20090125"/>。
**[[4月26日]]、名古屋市長に初当選。
**[[10月30日]] [[総務省]][[顧問]]([[地域主義|地域主権]]関係)に就任。
* [[2010年]](平成22年)
**[[10月5日]]、[[菅内閣 (第1次改造)|菅改造内閣]]発足に伴い総務省顧問退任。
**[[11月]]、自身が主導した市議会[[リコール (地方公共団体)|リコール]]の署名数が法定数を下回ったとして、名古屋市長を引責辞任し、出直しのために再出馬することを表明。
* [[2011年]](平成23年)[[2月6日]]、名古屋市長に再選。
* 社会党を支持する総評に参加しなかった非左派系労働組合を支持基盤とした民社党出身。ジャーナリストの[[佐野眞一]]は泥臭く分かりやすく短いキャッチフレーズを用いるところなど、河村がかつて秘書として仕えた同党の[[春日一幸]]元衆議院議員との類似性を指摘されている<ref>2011/01/08 日本経済新聞</ref>。
*[[名古屋弁]]を公においても使用し、自ら「名古屋から総理を狙う男」と公言してはばからない。選挙期間中は街宣車を極力使わず徒歩や自転車による街宣活動(本人曰く「自転車での街宣活動は自分が最初」と発言)を行い、庶民型政治家をアピールした{{Refnest|group="注"|ただし 本人の後ろに街宣車が併走している。}}。
* 大学時代から作業着、草履ばき、名古屋弁で行動しており、大学時代に知り合った[[鈴木望 (政治家)|鈴木望]](元[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]・元[[磐田市]]長)は、自分とは違う開けっぴろげな性格に惹かれ、交友を深めたという<ref>中日新聞2011年1月3日</ref>。
* 方言について「地方の言葉を○○弁と呼ぶのは地方差別で間違っている。[[東京方言|東京語]]は[[標準語]]ではなく[[共通語]]。名古屋弁は名古屋ことばと言うべし」と発言した。かつて逓信委員会で河村がNHK会長に指摘し、その後NHKは○○弁をやめ○○ことばと改めた。また、[[大河ドラマ]]「[[花燃ゆ]]」及び「[[真田丸 (NHK大河ドラマ)|真田丸]]」に関して、[[菅康弘]][[NHK名古屋放送局]]長に対し、「名古屋ことばが無視されることがないよう、お願い申し上げる。」との申し入れを行った<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG9T3W9DG9TOIPE023.html 「信長に「名古屋ことば」を 河村市長、NHKに要望」]朝日新聞2014年9月26日 </ref>。
* 長年中小企業に従事していた経験からリアリストを自認する。[[石川知裕]]衆議院議員は選挙の鉄則として河村から、「若いウグイス嬢を使うと中年女性の反感を買う」ので若いウグイス嬢は使ってはならないこと、顔を売るために街宣車の100メートル後ろを自転車で走るといいこと、取れない票は割り切って捨てるべきであることなどという現実的・実践的アドバイスを受けたという<ref>AERA2009年6月29日</ref>。また[[公職選挙法]]では、[[公示]]前に実名入りのタスキを使用することが禁じられていることから、「'''本人'''」と書かれたタスキを使用していた。その後、「本人」と書かれたタスキが、政党、候補を問わず広く使われるようになった<ref>「タスキに「本人」増殖中…公選法スキ突く奇策」読売新聞2009年8月7日</ref>。
*[[2007年]](平成19年)[[1月19日]]に放送された[[くにまるワイド ごぜんさま〜|文化放送の番組]]内で、番組の放送開始当初から誓約していたとおり、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の[[議員宿舎]]には入居せず、[[東京メトロ千代田線|地下鉄千代田線]]沿線の自身で賃貸契約した[[マンション]]に“自腹”で入居した事を告知した。この告知でリスナーから高い評価を受ける。
*[[2006年]](平成18年)[[4月26日]]に[[東京]]・[[永田町]]の[[参議院]][[議員会館]]で行われた「[[共謀罪]]に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会」の呼びかけ人を務めた<ref>[http://www.mynewsjapan.com/reports/347 「共謀罪」反対で、超党派国会議員と市民の緊急集会]</ref><ref>[http://www.kyoubouzai-hantai.org/news_archive/data060400/060400kessen/060426innai.TXT 「共謀罪」に反対する!超党派国会議員と市民の緊急院内集会]</ref>。
*2006年(平成18年)[[10月6日]]、[[自由民主党 (日本)|自民党]]の筒井隆彌[[愛知県議会]]|愛知県議会議員]]を、[[名誉毀損]]で[[愛知県警察]]に[[告訴・告発|告訴]]した。内容は「[[宏池会|宮沢派]]を勝手に標榜している、仲間の議員は誰も推薦人になっていない」などの中傷の言葉が筒井のホームページに並べられていたため。
*[[慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会]]の会員でもあり、慰安婦問題と[[南京事件 (代表的なトピック)|南京事件]]に対しては[[日本政府]]の責任を否定する傾向にある。慰安婦問題に関しては2007年(平成19年)[[6月14日]]に[[歴史事実委員会]]の全面広告に賛同者として名を連ね、[[アメリカ合衆国下院121号決議]]の全面撤回を主張した。南京事件に関して衆議院議員時代の[[2006年]]には、政府に対し「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する[[質問主意書]]」を提出。教科書などに「[[市民]]や[[捕虜]]の殺害」などが記載されている根拠や、政府見解を改めてただした。2009年(平成21年)9月15日の名古屋市議会定例会における一般質問でも「一般的な戦闘行為はあった。そういうものが誤解されて伝わっているのではないか。事件そのものについて日中友好のためにきちんと検証し直す必要がある」と答弁している。[[毎日新聞]]は、この発言により名古屋市との姉妹友好都市関係にある[[南京市]]との関係が懸念されていると報じた<ref>『毎日新聞』2009年9月15日夕刊</ref>。
*[[議員年金]]の廃止に対して熱心であった。
*選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛成<ref>第154回国会 請願3780号</ref>。
地方議員はボランティアであるべきとし、[[議員報酬]]を廃止し、[[保護司]]や[[民生委員]]らと同じく無給とすべきと主張。
*「[[議員]]活動のためには経費は当然必要だ。ただ、それを[[租税|税金]]からいただくのではなく自分で[[寄付|寄付金]]で集めるべきだ」としている<ref name="example">河村たかし『この国は議員にいくら使うのか』 </ref>。
*[[日本の国会議員|国会議員]]時代は「『議員特権廃止』を訴える以上、自らを律するべき」との下、[[文書通信交通滞在費]]全額を[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]支部と自らの[[資金管理団体]](「河村たかし政策研究会」)に寄付して、政治活動経費として使い、自らの財布に入れないとした。([[寄付]]した1200万円/年は、「河村たかし政策研究会」と愛知一区総支部の運営資金、主に[[機関紙]]の発行(2万9000部/年6回)や[[人件費]]に充てていたとし、寄附金[[控除]]も受け取っていないとしている。)<ref name="example" />
*河村は自身の著書によると、議員特権廃止に熱心であり、文書通信交通滞在費を「第二給料」と糾弾している<ref name="example" />。一方で、[[産経新聞社]]の記者を政策秘書として登録、秘書[[給与]]を河村自身の政治団体に入れていた。<ref> 2002年4月16日朝日新聞</ref>
*河村は自身の著書によると2004年(平成16年)から政党支部では、[[企業献金]]を断っているとしている<ref name="example" />。しかし[[中小企業]]の経営者などからの個人献金は受けており、実質企業献金ではないかという指摘もある。とくに名古屋市長になって以後、自身の給与を半減したため[[政治資金]]が枯渇し、経営者からの献金が倍増した<ref>CHUNICHI WEB 2009年 11月6日 [http://www.chunichi.co.jp/article/feature/vsshigikai/list/200911/CK2009110602000213.html 河村市長の金銭面支援 中小企業経営者ら“第二”の団体設立]</ref>。
*「議員の一番大事な仕事は、減税の実現」と述べた。
*[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わった<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
*衆院初当選以来、一貫して非自民党であり、自身が所属した政党が自民党と連立をしたことがない。河村がかつて所属していた[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]は[[1999年]][[1月14日]]、[[自自連立政権]]の[[小渕恵三内閣 (第1次改造内閣)|小渕改造内閣]]で[[与党]]に転じたが、河村はその前年の1998年4月に自由党を離党し[[無所属の会 (会派)|無所属の会]]に入党。同年12月には[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に加わっている。
*[[福島第一原子力発電所事故]]後は、[[原子力撤廃|脱原発]]を主張している。2012年(平成24年)[[4月16日]]には、事故が起きた場合には名古屋市の水源である[[木曽川]]が汚染されるとの懸念から、[[関西電力]][[大飯原発]]3号機の再稼働に懸念を表明<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/search/?searchKeyword=%E6%B2%B3%E6%9D%91%E3%80%80%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%80%80%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E5%B7%9D%E3%80%80%E5%8E%9F%E7%99%BA|title=福井、周辺府県と温度差 原発再稼働 拡大する「地元」(上) - 日本経済新聞 電子版|publisher= |date=2012-04-17|accessdate=2012-08-18}}</ref>。また自身が率いる[[減税日本]]を、中央集権打破・反消費増税・脱原発を政策の3本柱として政党化し、国政への進出を目指すとしている<ref>{{Cite web|url=http://mainichi.jp/area/news/20120818ddq041010010000c2.html|title=減税日本:政党化 河村・名古屋市長「庶民革命実現する」 議員報酬半減公約- 毎日jp|publisher= |date=2012-08-18|accessdate=2012-08-18}}</ref>。
 
=== 民主党代表選 ===
* 2005年(平成17年)[[9月]]、[[国民民主党代表]]選挙|民主党代表選挙]]に名乗りを上げたが、推薦人20人を確保できず立候補を断念した。
* 2006年(平成18年)[[3月31日]] - 前原執行部の総辞職を受けて民主党代表選挙に立候補を表明し、朝からテレビに出演し[[政策]]をアピールし、推薦人確保に奔走したが締切りである[[4月7日]]10時までに20人に達せず断念(18名まで確保)。
* [[小沢一郎]]代表の続投が規定路線だった2006年(平成18年)[[9月12日]]の[[国民民主党代表選挙|民主党代表選挙]]に出馬意欲表明。[[8月29日]]、小沢が初めて出馬表明した翌日に[[記者会見]]。この時点での確保推薦人数は5人ぐらい(本人談)であった。
* 民主党代表選挙に出馬すると明言しながらいつも推薦人20人を確保できないことから、[[ビートたけしのTVタックル]]では[[浜田幸一]]に「代表選に出ると言っておきながら推薦人20人確保できないのはお前だけだ」と苦言を呈された。
* 民主党代表選挙に出馬したい意欲は極めて本物であり、小沢の無投票3選の根回しが民主党内で進んでいた動きに抵抗するかのように、[[2008年]](平成20年)[[8月19日]]、「庶民革命{{Refnest|group="注"|「庶民革命」なる河村の同名ビジョンは、大型[[政令指定都市]]の首長選挙である名古屋市長選(2009年4月12日告示、同月26日投開票)においても、そのまま踏襲された。{{PDFlink|[http://takashi-kawamura.com/2008daihyo/2008vision.pdf 庶民革命]}}もしくは{{PDFlink|[http://s04.megalodon.jp/2009-0504-0245-25/takashi-kawamura.com/2008daihyo/2008vision.pdf 庶民革命]}}を参照のこと。}}」なる政権構想を自身のHPで発表した。しかし、下馬評にさえ満足に取り上げてもらえないほど、民主党の国会議員たちには受けが悪かった。
[[1月26日]]夜、民主党愛知県連の幹事会にて、河村は[[住民税]]の10%減税や議員のボランティア化など自らの基本政策を説明したが、積極的支持を得られず、幹事会は、周知先行していた元愛知県弁護士会副会長の伊藤邦彦(「邦」は、正しくは [http://kosekimoji.moj.go.jp/kosekimojidb/png?kosekiMjBng=446650&pngSizeKbn=2 こちら]。以下同様)を名古屋市長選の民主党愛知県連推薦候補とすることを全会一致で了承した。このため、河村は、党除名覚悟で出馬するかどうか、という瀬戸際に追い込まれることになった<ref name="mayorofnagoya20090126">[http://s01.megalodon.jp/2009-0430-0357-18/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090127k0000m010163000c.html 名古屋市長選:民主県連、伊藤氏推薦 河村氏の動向焦点に] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年1月27日 02時23分</ref>。
 
[[1月27日]]午前、民主党本部の常任幹事会にて、愛知県選出国会議員団長の[[佐藤泰介]][[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]]が、名古屋市長候補者として民主党愛知県連が伊藤邦彦を全会一致で推薦候補としたことを報告し、党本部の最終判断を仰いだが、党本部常任幹事会は河村の出馬による民主支持層の分裂を懸念し、最終判断を見送った。記者団に対し、常任幹事会に出席していた[[輿石東]]参院議員会長は「県連でもっとまとめてほしい」、民主党愛知県連幹部は「正規の手続きを経て、党本部に上申した結果が覆されることはない」、河村は「不退転の決意は全く変わらない」と述べる状態であった<ref name="mayorofnagoya20090127">[http://s02.megalodon.jp/2009-0430-0425-04/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090127k0000e010074000c.html 名古屋市長選:民主、候補者推薦の判断先送り] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年1月27日 14時19分(最終更新 1月27日 14時35分)</ref>。
 
[[1月29日]]午後、河村は、[[代表質問]]が行われている[[衆議院]][[本会議]]場を退席して同じく退席している[[小沢一郎]]民主党代表と会い、「(市長選を)ぜひともやりたい。(党推薦を)お願いしたい」と直談判したが、「県連の関係者に一度お願いして回って来い」と突き返された。この日、民主党名古屋市議団は議員総会を開いて元愛知県弁護士会副会長の伊藤邦彦の推薦を再確認するなどしており、全国的に著名な河村といえども地元民主党議員たちの支持を得られる状況にはなかった<ref name="mayorofnagoya20090129">[http://s02.megalodon.jp/2009-0430-0340-45/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090130k0000m010139000c.html 名古屋市長選:河村氏出馬願い 小沢代表「県連了承得よ」] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年1月30日 02時10分(最終更新 1月30日 2時12分)</ref>。
 
[[2月6日]]、[[国民民主党幹事長|民主党幹事長]]の[[鳩山由紀夫]]が記者会見で名古屋市長選の候補者推薦について「時間がかかってもしっかりと落着させることが大事だ」と言明したことにより、前月26日の愛知県連全会一致での伊藤邦彦に対する推薦決定にもかかわらず、党本部の最終判断は更に大幅に先送りされることとなった<ref name="mayorofnagoya20090206">[http://s02.megalodon.jp/2009-0430-0349-10/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090207k0000m010164000c.html 名古屋市長選:民主推薦また先送り 10日に結論困難] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年2月7日 02時02分</ref>
 
[[3月20日]]、河村は、名古屋市長候補として民主党名古屋市議団の議員総会に出席し、[[マニフェスト]]案を提示して市議団側からおおむね了承された。このため、これを民主党愛知県連が民主党本部に報告すれば河村たかしが正式に名古屋市長選の民主党推薦候補となる見通しとなった<ref name="mayorofnagoya20090320">[http://s02.megalodon.jp/2009-0430-0538-58/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090321k0000m010143000c.html 名古屋市長選:河村氏の推薦決定へ 民主市議団大筋で了承] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年3月21日 02時02分</ref>。
[[3月25日]]午後、河村は、名古屋市内で記者会見し、名古屋市長選に無所属・[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]推薦で立候補することを正式表明した。同時に、それまでに名古屋市議団との政策交渉で了承を得ていたマニフェストの基本方針「庶民革命<ref name="shomin-revolution-2">「庶民革命」なる河村の同名ビジョンは、2008年8月19日、民主党代表選に備えて既に発表されていたが、名古屋市長選でのこの「庶民革命」は、その地方拡大版である。{{PDFlink|[http://takashi-kawamura.com/2008daihyo/2008vision.pdf 庶民革命]}}もしくは{{PDFlink|[http://s04.megalodon.jp/2009-0504-0245-25/takashi-kawamura.com/2008daihyo/2008vision.pdf 庶民革命]}}を参照のこと。</ref>」「市民税10%減税」「ボランティア委員会(地域委員会、[[:en:Neighbourhood council|Neighbourhood council]])」「ナゴヤを日本一税金の安い街にする」等を発表した。席上、河村は、「楽市楽座で庶民にも商売できるようにした[[織田信長]]のような『庶民革命』をやりたい」「世の中の人は税金を払うのにどえらい苦労をしている。税金で食っている人が極楽というのは正さにゃいかん」「議員とか役人とかはパブリックサーバント、公僕だ。そういう政治の原点を訴えたい」と熱く訴えかけた<ref name="mayorofnagoya20090325-c">[http://s02.megalodon.jp/2009-0430-0558-02/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090326ddq041010010000c.html ’09名古屋市長選:正式出馬表明の河村氏、「庶民革命」減税訴え] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年3月26日 中部朝刊</ref><ref name="mayorofnagoya20090325-1">[http://s03.megalodon.jp/2009-0430-0552-27/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090326k0000m010047000c.html 名古屋市長選:民主党の河村衆院議員が出馬表明] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年3月25日 19時12分(最終更新 3月25日 19時18分)</ref>。
 
[[4月1日]]、前述のように、民主党名古屋市議団から民主党本部までの推薦を得ていたものの、民主党を支持するはずの「自治労名古屋市労働組合」が河村を推薦せず、自主投票とすることを決定した。また、連合愛知も同様に、結局、最後まで河村を推薦しなかった。これらは河村の「人件費の総額10%削減」という公約に対する組合員の警戒心が大変強かったためであり、「税金を払う方([[市民]])が地獄なのに[[租税|税金]]で食っている方(市職員や議員)は極楽」などと繰り返す河村たかし候補に対して「自分たちを家来としか見ず給料を下げると豪語している。河村氏を推すなら組合を辞める」という声すら出ていたためである<ref name="mayorofnagoya20090401">[http://s04.megalodon.jp/2009-0430-0514-34/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090401ddq041010002000c.html ’09名古屋市長選:家来としか見ず「給料削減」豪語 自治労、河村氏を自主投票に] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年4月1日 中部朝刊</ref><ref name="mayorofnagoya20090426-3-1"/>。
 
[[4月4日]]夜、河村は、名古屋市役所で記者会見し、市民税10%減税、ボランティアによる地域委員会(仮称)の創設、経済対策の3つを柱とする[[マニフェスト]]『河村たかしの名古屋政策』を発表した<ref name="mayorofnagoya20090404">[http://s01.megalodon.jp/2009-0430-0620-17/mainichi.jp/chubu/nagoya/archive/news/2009/20090405ddq041010003000c.html ’09名古屋市長選:市民税10%減 河村氏公約「1期目で実現] - [[毎日jp]] [[毎日新聞]] 2009年4月5日 中部朝刊</ref>。同日、自身のHPでも解説資料『河村たかしの名古屋政策』<ref>{{PDFlink|[http://takashi-kawamura.com/pdf/nagoya/20090404.pdf 河村たかしの名古屋政策]}}あるいは{{PDFlink|[http://s01.megalodon.jp/2009-0504-0413-54/takashi-kawamura.com/pdf/nagoya/20090404.pdf 河村たかしの名古屋政策]}}を参照のこと。</ref>を発表した{{Refnest|group="注"|2009年4月4日に発表した『河村たかしの名古屋政策』の内容は以下のとおり。
* 日本一 税金の安い街 ナゴヤ、その手始めの市民税10%減税の財源は[[行政改革|行財政改革]]であり、「役人支配を脱し、市役所に根付いた『しがらみ』を一掃、隠し事のない政治を実現する」と強調されている。具体的行財政改革として以下のようなものが挙げられている。
** 市長との約束に基づく役所内の分権
** 予算を節約すれば当該部署が報奨される制度の導入
 
==== 小沢一郎を支持する一新会からの裏金授受疑惑 ====
小沢一郎の資金管理団体「陸山会」による土地取引をめぐり、裏金を受領したとして[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]・[[石川知裕]][[政治資金規正法]]違反の罪に問われた問題に関連して秘書の金沢敬より裏金が名古屋市長選での河村たかしへの選挙資金に流れていた疑惑がある。
石川の元秘書である金沢敬が2009年の名古屋市長選で、民主党衆議院議員で小沢一郎幹事長を支持するグループ「一新会」で「力があるMさん」が、河村たかし市長の選挙対策関係者に「裏の方」で200万円を渡していたと説明。金沢は「(河村側は)『190万円しかかからなかった。10万円の黒字になった』と話していた」と述べた。
河村は「個人献金の年間上限額の150万円を超え200万円もの裏金をもらった事実はない。記録はあり証明できる。[[名誉棄損]]に当たるので抗議したい」と語っている<ref>産経新聞 2010年1月15日</ref>。
仮に市議の活動をボランティア的に賄うとすると、政治には様々なお金がかかるため実質高所得者でなければ議員になれなくなるという批判もある。また、選挙費用まで考えると800万の報酬では困難だという指摘もあり、実際に河村市長本人も2009年の市長選時には小沢一郎の資金を一新会の有力議員より裏金として受けていたという報道もある<ref>2010年1月15日産経新聞</ref>。また、800万の給与では私設秘書が雇えないが、選挙活動に私設秘書が必要なため大西副市長の給与で秘書を雇用するように河村市長の夫人が依頼していた<ref>週刊文春 2011年 1月27日号</ref>。河村市長は選挙に費用をかけすぎであり、また足らない部分は個人献金で補えばよいとしている。しかし、日本では個人献金を行う慣習が定着しておらず、多くは中小企業の同族会社の経営者が行う個人献金で実質は企業献金の形を変えたものである場合も多い。実際、河村たかし本人も、市長になってから献金が倍になっており、800万の市長給与で足りない部分は中小企業経営者から個人献金を集めているという報道もある<ref>CHUNICHI WEB 2009年 11月6日 [http://www.chunichi.co.jp/article/feature/vsshigikai/list/200911/CK2009110602000213.html 河村市長の金銭面支援 中小企業経営者ら“第二”の団体設立]</ref>。
 
名古屋大学客員准教授で[[公認会計士 (日本)|公認会計士]]の高村徳康は、民間企業の平均給与は大企業で600万円台、中小企業は400万円台であることから、報酬削減に反対する議員は民間と感覚がずれていると批判し、市長の政策を支持している。
 
また、政治学を専門とする名古屋大教授[[小野耕二]]は「名古屋という大都市の運営を考えるには、幅広く意見を聞き、調査できる時間を確保できる人が議員にふさわしく、そのためには一定の報酬額が必要だ。議員活動と市政への貢献を考えれば、安く働く人を集めることだけが、市に経済的メリットがあるとはいえない。議会も改革を進めており、議会案も含め議論すべきだろう。」と述べている<ref>2010年8月31日読売新聞</ref>。
 
;議員報酬半減に対する名古屋市議会の対応
 市長側が当初の公約(2009年市長選時)では1割削減であった議員報酬を半額に削減するなど極端な案を出したこともあり、河村市長就任当初は議員報酬半減案は否決される状況が続いていた。一方、河村市長が高い支持率を背景にリコールの構えを見せるなか、市議会の側からも議会改革の動きが徐々に現れ、自民党・民主党は市民や有識者からなる第三者機関により議員報酬を決める案、公明党は議員活動費の保証を条件に議員報酬半減案に賛成、共産党も報酬半減案を容認する方針への転換を示していた。そのような中で名古屋市議会リコール成立及び市議会選挙での減税日本の躍進を受け、2011年4月27日に減税日本、自民、公明、民主、共産の5会派の共同提案により暫定的に市議報酬を半減させる条例案を可決した。議員報酬半減を公約に大躍進をした減税日本ではあるが、その後はこの問題について煮え切らない対応が続いている。暫定的に市議報酬を半減させる条例案は当選1年目の議員は最初のボーナスが少なく800万円に満たない内容であったため、条例案の原案を作成した減税日本は則竹勅仁市議団長以外はすべて1年目議員のため内部でも大きな反発が生じることとなった。そのため、この条例案提出にあたって案をまとめ各会派と調整してきた舟橋猛、玉置真悟が幹事長を辞任する事態となった(これが後の減税日本分裂の伏線になった。)。舟橋は「4月に就任したばかりで満額のボーナスを貰おうとするのは社会の一般常識からしておかしい。」と発言している<ref>河村市政の裏表 月刊東海財界</ref>。また、2011年4月総務環境委員会において当時の減税日本名古屋市議団団長の則竹議員は「本当に800万円で議員活動ができるのか。」という質問に対し、「正直厳しい。やってみないとわからないが、まず努力する。(政治資金)パーティなども努力したい。」と答えている。
その後、河村市長は2011年6月議会に減税日本に対し市議報酬を恒久的に半減する条例案の提出を求めたが、減税日本名古屋市議団は条例案の提出を見送ることとした(減税日本が2011年選挙で躍進をとげて以降は河村市長は議員報酬については市長提案ではなく議会側から提案すべきだというスタンスのため市長提案は行っていない)。2013年9月には市議報酬半減を恒久化する条例案が提出されたが自民、公明、民主、減税日本を離れた新生などの反対で否決された。なお、この条例案を話会う総務環境委員会の審議の中で減税日本の近藤徳久市議から議員報酬半減の妥当性に疑問を投げかけるなど、減税日本内部でも混乱が見られた。また、同委員会で減税日本の真意を問いただされた黒川慶一市議は「(河村)代表の言うことがすべてではない、半分は聞き流している。」と発言している<ref>2013年9月21日中日新聞</ref>。<br />
 
==== 市議会リコール ====
; リコールの経緯
市議会との対立が決定的となった河村市長とその支援者は2010年(平成22年)8月27日より市議会[[リコール]]のための署名活動を開始した。[[リコール]]成立には名古屋市の有権者の2割である36万5795人分の署名を1ヶ月の間に集める必要がある。リコール成立のために必要な署名数が、有権者が40万を超える場合は、「地方自治法等の一部を改正する法律」(平成14年法律第4号、2002年3月30日公布)により「その総数の3分の1(その総数が40万を超える場合にあつては、その超える数に6分の1を乗じて得た数と40万に3分の1を乗じて得た数とを合算して得た数)以上」(原文漢数字)と改正されているためである。
 
市長側は最終的には46万5582人の署名を提出。リコール成立は確実とも思われた
|accessdate=2010-12-15
|language=日本語
}}</ref>衆議院議員の[[大村秀章]]、民主党から元[[総務省大臣官房]][[審議官#大臣(長官)審議官|審議官]]の御園慎一郎、自民党からは前総務省課長補佐の重徳和彦、みんなの党から[[愛知みずほ大学]]大学院特任教授の薬師寺道代が立候補、共産党からは医師の土井敏彦が立候補を表明した。なお、公明党は大村候補の支持を表明している。
 
また、大村秀章は自分を応援しない自民党県議に対して2011年4月の愛知県議選で対立候補を擁立した。自民党は大村の出馬が反党行為に当たると判断し除名処分とした。
しかし、議会との対話により解決を図ることを行わず、リコールなどの強権的な手法をとる市長の手法に対し、「プレビシット制(人民独裁)」(国民の意思を問うためではなく、時の権力担当者(政治家)が自己の地位や権限を強化する目的や役割をもって行う国民投票制度)であるという認識もある。また、地方自治における二元代表制は市長の独走を議会側がチェックするという機能を担うものである。しかし、河村市長の手法は市議会との対立を演出することにより、議会や行政に対する市民の批判を自身の支持に巧みに転換し、リコールなどを利用して結果的に二元代表制という民主義的なチェック機能を無効にするものであるという点について様々な批判もある。
 
例えば、大阪経済法科大学客員教授松室猛は「唯我独尊の首長を生み出しているケースと、その逆に首長べったりの議会と議員を生み出していることが今日の自治体の異変に繋がっているのである」と名古屋市、阿久根市、大阪市などを念頭に今日の地方自治の問題点を指摘しつつ、「最近の選挙で感じられることは、プレビシット型を容認する衆愚政治的傾向があることである。今年の2月に施行された名古屋におけるトリプル選挙はこの典型ではないだろうか。」と述べている。<ref>ニ水会定例講演 平成23年3月</ref>神奈川県の[[松沢成文]]知事は「議員は市長選と違う民意で選ばれており、『市長公約の反対者は非国民』と議会を否定したら二元代表制が成り立たない」と発言している<ref>2010年10月14日定例記者会見</ref>。一方で、河村市長が支持を集める背景には、そもそも地方自治において二元代表制が機能しておらず市長と議会のなれ合いの中で、住民側に根強い政治不信が存在するという認識もあり、[[片山善博]][[総務大臣|総務相]]は「これまでの二元代表制の下で(市長と市議会が)それぞれチェックし、牽制(けんせい)し合う機能があまりなくて、裏で手を握り、八百長、談合の傾向が強かった、それではいけないというのが阿久根、名古屋で、今までのアンチテーゼ。ただし、それがちょっといびつな形で出てしまった。」と議会と市長双方を批判している<ref>
MSN産経ニュース 2010年10月9日13時43分</ref>。河村市長のポピュリズム(大衆迎合主義)政治的な側面に対する批判もある。八木秀次高崎経済大教授は「市民に分かりやすい政策だけで、古代ローマの政治手法『パンとサーカス』だ。パンは減税、サーカスが敵を作り上げてやっつけることだ」と述べている<ref>2010年2月7日 産経新聞</ref>。[[熊本県]]の[[蒲島郁夫]]知事は、「トリプル選挙」として注目を集めた2011年2月の名古屋市長選に触れ、「争点は河村たかし市長の公約だった減税だけに集約された。カリスマ性に富む首長が、反対する立場の人を仮想敵として非難し、自ら議会を解散に導く手法は[[ポピュリズム]]に陥る恐れがある」と述べ、河村の一連の政治手法に批判的な見方を示した。また、政治学者でもある蒲島は選挙の特徴を「既存政党への不信の広がり」「マスコミの注目を浴びる形の劇場型選挙」「候補者のキャラクターと単一の争点への依存」と分析し、「この手法が今後もまかり通れば、日本の民主主義の在り方自体が問われる」と批判した<ref>2011年3月2日の熊本県議会代表質問における、民主・県民クラブの[[鬼海洋一]]への答弁より。潮崎知博「ポピュリズムに陥る恐れ 蒲島知事、名古屋市長の手法非難」、『[[熊本日日新聞]]』2011年3月3日5面。</ref>。
また、「パフォーマンス一辺倒で、市政の重要事項には興味を示さない」という批判もある。河村市長のかつての経営アドバイザーの1人であった政治学者の[[後房雄]][[名古屋大学]]教授は、政策については役人に丸投げで、自らリーダーシップを取らず、行政の本質的問題に興味を示さない河村市長の姿勢に対して、「(減税を実施した後)減税をテコとした事業の精査のシステム構築や、地域委員会の実施、拡大のための体制整備などを重点とする方向で局面が転換するものと考えていたが、河村市長は、議員報酬と定数の半減を新たな争点に議会解散路線をさらに加速させた。」として[[行政]][[経営学|経営]]の本質的問題よりも、「議会解散直接請求という政治ショーこそが(河村市長の)一貫した中心的関心事」と批判している<ref>[http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/131 河村市政1年の真実―内側から見た光と影]-2010年04月26日中日新聞への寄稿</ref>。
 
また、後房雄教授はさらに、議会と市長の対立からリコールまでの一連の動きは「総理を目指す男河村たかし」が「地方自治の旗手」として国政復帰するための手段であったことも指摘する一方で市と議会で緊張感が生まれたことに関しては一定の評価を与えている。『河村氏は元々国政に戻るタイミングを計っていて、市長を「仕方なく」やっている。』と指摘したうえで、以下のように述べている。『象徴的なシーンがあった。河村氏と一緒にやっていた09年、議会が減税と地域委員会を認めないので、リコールを準備して圧力をかけた。すると議会が議案を11月議会で通した。大成功だったんだが、河村氏はがっかりしている。理由を聞くと「私は(政令市初の)リコールがやりたいんだ」。リコールは彼の手段ではなく、目的だった。その後、議会がのめないように、公約にない議員報酬半減を打ち出してリコールをやった。「地方自治の旗手」として国政に復帰したかったんだろう。結局、衆院選で失敗し、また市長選に出ることになったけど。ただ、河村市長の誕生には意義がある。以前の市は既成政党が相乗りで行政OBの市長をかつぎ、市職員は議員の世話をするという談合体質。外からのチェックが入らない状況だった。河村氏によって市と議員に緊張感が生まれたし、リコールで現職議員の半分近くが落選し、議会が刷新された。(中略)河村氏を代えるのがいいかどうかは何とも言えないところだ。』<ref>4.21名古屋市長選:河村市政1期4年、識者に聞く 毎日jp 2013 3月31日</ref>。
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