「シャムスッディーン・カユーマルス」の版間の差分

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==生涯==
[[1290年]]、父[[ムイズッディーン・カイクバード]]が貴族らに退位させられると、ハーレムにいたその3歳の息子であるカユーマルスが「シャムスッディーン」の尊称([[人名|ラカブ|人名]])の下に即位した<ref name=60p60>荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.60</ref>。貴族らはすぐさまその名を刻んだ貨幣を鋳造して、当時勢力を伸ばしていた[[ハルジー族]]の族長[[ジャラールッディーン・ハルジー]]に対抗しようとし、王朝の存続を試みた<ref name=60/>。
 
しかし、同年にジャラールッディーンは[[デリー]]の宮殿を先制攻撃し、カユーマルスは捕えられ、すでに病床にあった父カイクバードも殺された<ref>ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.126</ref>。これをもって、奴隷王朝はその終焉を迎え、新たに[[ハルジー朝]]を創始された。