「ベルト・ド・オランド」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Kanazaemon (会話 | 投稿記録) |
Kanazaemon (会話 | 投稿記録) |
||
39行目:
1090年、ベルトがフランス王室に嫁いで来た際の持参金であった領地のほとんどを占める[[モントルイユ (セーヌ=サン=ドニ県)|モントルイユ]]の要塞に王妃を軟禁し、1092年、虚実であるベルトと自分の血族関係を記載した偽の家系図を作成し、教皇に[[婚姻の無効]]を訴えベルトとの離婚を成立させた。
その後、フィリップ1世は[[シチリア王国|シチリア]]伯[[ルッジェーロ1世 (シチリア伯)|ルッジェーロ1世]]に使節を送り、娘のエンマに求婚
不本意な離婚を強いられたベルトは失意の中、幽閉先で翌1093年に死去した。
|