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1090年、ベルトがフランス王室に嫁いで来た際の持参金であった領地のほとんどを占める[[モントルイユ (セーヌ=サン=ドニ県)|モントルイユ]]の要塞に王妃を軟禁し、1092年、虚実であるベルトと自分の血族関係を記載した偽の家系図を作成し、教皇に[[婚姻の無効]]を訴えベルトとの離婚を成立させた。
 
その後、フィリップ1世は[[シチリア王国|シチリア]]伯[[ルッジェーロ1世 (シチリア伯)|ルッジェーロ1世]]に使節を送り、娘のエンマに求婚する等、別の女性との再婚を企てた。フィリップはベルトと離婚した年内、[[アンジューの領主一覧|アンジュー伯]][[フルク4世]]と共に謁見に来たその妻、[[ベルトラード・ド・モンフォール]]出会い、その若さと美貌に魅了されたフリップは自分の臣下から妻を[[誘拐婚|奪い取る形で再婚]]し、後妻とした。
 
不本意な離婚を強いられたベルトは失意の中、幽閉先で翌1093年に死去した。