「宣王 (斉)」の版間の差分

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ところで、靖郭君は[[兒説]]をよく待遇した。食客や孟嘗君が諌めたが、「我が家の財を散じても貎辯(兒説)先生を厚遇するぞ」と激怒し、最上の礼を以って厚遇した。威王が崩御し宣王が立ったが、宣王は大いに靖郭君を嫌い抜いており、靖郭君もそれがわかっていて封邑の[[滕州市|薛]]に去った。それからしばらくして、兒説は暇をもらい、宣王に拝謁しに行かせてほしいと言い出した。靖郭君は兒説がなにしたいかを理解し、
:「王はいたって私がお嫌いだ。あなたが行けば、命を落とされるのは必定です」と言うが、
:兒説、「わかっております、是非行かせて下さい」といい、振り切って行ってしまった。
兒説が宣王に拝謁すると、
:宣王、「あなたは、靖郭君のお気に入りで、何事も重用されておるのだろう」と。
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:と申し上げますと、靖郭君は
::『薛はご先代から拝領したもの。今の王にお憎しみを被っておろうと、この私として、ご先代に申し訳が立とうか。しかも、ご先代の霊廟が薛にはある。私として、どうして、楚にご先代の霊廟をやれよう』
:と仰せられ、これまた手前の言葉を聞きいれようとはなさいませんでした。これがその二つでございます
宣王は大息し、
:「靖郭君が私を思ってくれていたとは。私は若年で、一向に気づかなかった。一つ私のために、靖郭君を来させるよう、骨を折ってはくれないか」と言い、