「棚橋弘至」の版間の差分

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[[1976年]][[11月13日]]、[[岐阜県]][[大垣市]]に生まれる。幼い頃に[[プロレス]]好きな祖母の影響でプロレスの存在を知ってテレビで見るようになり、学校の休み時間ではプロレスごっこに興じていた<ref name="棚橋2014、21頁">[[#棚橋2014|棚橋2014]]、21頁。</ref>。一方で大垣市が[[中京圏|名古屋圏]]という土地柄から[[中日ドラゴンズ]]の大ファンで[[野球]]にも熱中し、[[小松辰雄]]、[[郭源治]]に憧れていた。[[岐阜県立大垣西高等学校]]では[[野球|野球部]]に入部。[[左翼手]]を務めながら、将来の夢として[[プロ野球選手]]になることを掲げていた<ref name="棚橋2014、21頁"/><ref name="棚橋2009(1)HIGH、4頁">[[#棚橋2009(1)HIGH|棚橋2009(1)HIGH]]、4頁。</ref>。そんな中、高校1年生の頃に見た[[闘魂三銃士]]の試合、[[小橋建太]]の試合に感銘を受けた棚橋は、「[[プロレスラー]]になれば、心も体も強い人になれるのではないか」と、次第にプロレスラーへの憧れを強く抱き始めるようになった<ref name="棚橋2014、21頁"/>。
 
その後、プロ野球選手になる夢を諦めた棚橋は、プロ野球選手になれないならば、伝える側の[[記者|新聞記者]]になることを考え、マスコミ関係に強そうな学部をいろいろ受けた結果、一般入試で[[立命館大学法学部]]に入学した<ref name="棚橋2014、22頁">[[#棚橋2014|棚橋2014]]、22頁。</ref>。入学式後、構内で新入生をサークルに勧誘するブースが数ある中でプロレス同好会に入り、クラスの自己紹介の時間ではクラスメイトが将来の夢として[[弁護士]]や[[公認会計士]]を挙げる中、「将来はプロレスラーになります!」と宣言した{{efn|当時の同好会会長に棚橋は「サークルに入ったらプロレスラーになれるんですか?」という質問を投げかけたところ、「なれるぞ!」という会長の回答をすっかり信じ込んでしまい、さらには新入生による自己紹介の際に将来の夢としてプロレスラーになると宣言したことから後に引けなくなったと、述懐している<ref>[[# name="棚橋2014|棚橋2014]]、23頁。<"/ref>}}<ref name="棚橋2014、23頁">[[#棚橋2014|棚橋2014]]、23頁。</ref>。プロレス同好会に在籍する一方、[[アマチュアレスリング|レスリング]]部にも参加し、[[1996年]]春に行われた[[新日本プロレス]]の入門テストを受け、与えられたメニューを全てこなしたが不合格<ref name="棚橋2014、28頁">[[#棚橋2014|棚橋2014]]、28頁。</ref>。同年秋に2度目の入門テストを受けるも、体調不良による脱水症状に陥りメニューをこなすことができずここでも不合格となった<ref name="棚橋2014、28頁"/>。大学3回の終わりの[[1998年]]2月に行われた3度目の入門テストでようやく合格を果たし大学を辞めるつもりだったが、[[長州力]]から「この仕事はケガするかもしれないし、将来のために大学だけは卒業しておけ」と言われ大学生活を継続<ref name="棚橋2014、29頁">[[#棚橋2014|棚橋2014]]、29頁。</ref>。法学部の公務行政コースで政治について学び、残りの1年間で大量に残していた単位をすべて取得<ref>[https://www.asagei.com/excerpt/33415 テリー伊藤対談「棚橋弘至」(3)法学部時代は「アウェイ」でした]</ref>。卒業後の[[1999年]]4月、晴れて新日本に入寮した<ref>[[#棚橋2014|棚橋2014]]、35頁。</ref>。
 
=== 新日本プロレス ===
 
==== 2007年 ====
4月13日大阪大会にて永田の[[バックドロップ#バックドロップホールド|バックドロップホールド]]に敗れIWGP王座から陥落<ref name="棚橋2009(1)HIGH、19頁">[[#棚橋2009(1)HIGH|棚橋2009(1)HIGH]]、19頁。</ref>。さらに5月1日の試合後に右膝半月板損傷および内側側副靭帯損傷のため欠場<ref name="棚橋2009(1)HIGH、19頁"/> となり、上半期は思うような結果が残せずに苦しんだ。7月26日、G1開幕を控えた棚橋は[[洒水の滝]]に訪れ、2004年以来となる滝修行を敢行<ref name="棚橋2009(1)HIGH、19頁"/>。修行後の囲み取材で「これを機に一気にスターダムへとのし上がります!」と、力強く決意を述べた<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/33602|title=「G1」初制覇に向けて棚橋選手が“滝修行”を敢行!|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2007-7-26}}</ref>。8月、6年連続でG1に出場。予選を勝ち抜き決勝トーナメントに進出を決めた棚橋は、同月12日の準決勝戦で真壁、決勝戦で永田を破り、悲願のG1初制覇を成し遂げた<ref name="棚橋2009(1)HIGH、19頁"/>。G1を制覇した棚橋は次なる標的としてIWGP王座に狙いを定め、10月8日両国大会にてIWGP王座を保持する永田と再び対戦。[[ダイビング・ボディ・プレス#フロッグスプラッシュ|ハイフライフロー]]で勝利を収め、約半年ぶりにIWGP王座に返り咲くことに成功した<ref name="棚橋2009(1)HIGH、19頁"/>。
 
翌9日、一夜明け記者会見の場で[[結婚]]していたことを明らかにした<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/33910|title=棚橋選手が結婚を発表|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2007-10-9}}</ref>。
 
==== 2008年 ====
[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムII IN 東京ドーム|レッスルキングダムII]]のメインにて中邑と対戦したが[[ファイヤーマンズキャリー#プロレスにおける派生技|ランドスライド]]に敗れIWGP王座から陥落<ref name="棚橋2009(1)HIGH、19頁"/>。3月1日の全日本プロレス両国大会にて武藤とタッグを結成し、[[川田利明]] & [[太陽ケア]]組を相手に勝利。メイン終了後のリングで[[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]に参戦を表明した<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁">[[#棚橋2009(1)HIGH|棚橋2009(1)HIGH]]、20頁。</ref>。ホームである新日本では、同月8日より開催されたNJCを史上初となる2度目の制覇を果たしIWGP王座挑戦権を獲得<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>、3月30日後楽園大会にて中邑と対戦したが腕ひしぎ逆十字固めに敗れた<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。4月、全日本主催のチャンピオン・カーニバルに初出場。9日の公式リーグ最終戦で[[小島聡]]から勝利を収め決勝に進出し、決勝戦で[[諏訪魔]]と対戦したが[[パワーボム#ラストライド|ラストライド]]に敗れ準優勝<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。17日、左膝前十字靭帯断裂および外側半月板損傷により以後欠場<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。8月に開幕されたG1の舞台で復帰を果たすも、精彩を欠き予選落ちに終わった<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。9月には新日本内で急激に勢力を拡大させる[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]に対抗すべく、対立関係にあった中邑がリーダーを務めるユニット、[[RISE (プロレス)|RISE]]と本隊との橋渡し役となるも、その後は然したる活躍もないままトップ戦線から遠のいた存在にまで陥る。10月26日にスランプ打破のため、無期限アメリカ遠征に出発<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。現地TNAの一員として試合をこなしていく中、[[菅林直樹]]社長から全日本・武藤が保持するIWGP王座を奪回するため、次期IWGP王座挑戦者として直々に指名を受ける<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。「打開策を自分が納得するまで見つけ続けたい」と、当初は答えを保留していた<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/35581|title=新日本プロレス菅林社長、緊急渡米。しかし棚橋の答えは……。|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2008-11-10}}</ref> が、最終的に翌年東京ドーム大会でのIWGP王座挑戦を受理した<ref name="棚橋2009(1)HIGH、20頁"/>。
 
==== 2009年 ====
[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムIII IN 東京ドーム|レッスルキングダムIII]]の舞台で武藤を破り、長らく他団体に流出していたIWGP王座の奪還に成功し、3度目の戴冠を果たす<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁">[[#棚橋2009(1)HIGH|棚橋2009(1)HIGH]]、21頁。</ref>。その後、中邑、[[カート・アングル]]、[[後藤洋央紀]]と対戦し3度の防衛に成功<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/>。一時は中西学に敗れて王座を手放す<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/> が、[[ドミニオン (プロレス興行)#2009年|DOMINION 6.20]]にて中西に勝利し再び王座を奪還<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/>。以後、NOAH所属の[[杉浦貴]]、[[ZERO1]]所属の[[田中将斗]]、[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]所属の[[TAJIRI]]といった外敵らと抗争を繰り広げ始め、特にTAJIRIには[[毒霧|グリーンミスト]]を浴びせられたことから強い敵意を示した。8月13日の愛知大会G1公式リーグ戦にてTAJIRIと対戦したが[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]のブラインドを突いたグリーンミストからのバズソーキックに敗れた<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/>。TAJIRIに土をついた棚橋だったが、G1では公式リーグ最終戦で田中を破り決勝トーナメントに進出<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/>。準決勝戦で中邑と対戦したが[[ニー・バット#ランニング・ニー・バット|ボマイェ]]に敗れ優勝を逃した<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/>。さらに試合中に中邑が放った[[ハイキック]]によって眼窩内側壁骨折となり欠場、それに伴いIWGP王座の返上を発表した<ref name="棚橋2009(1)HIGH、21頁"/><ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/36866|title=棚橋弘至選手欠場、IWGPヘビー級王座返上のお知らせ|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2009-8-17}}</ref>。
 
9月27日神戸大会のメインで行われたIWGP王座決定戦=真壁vs中邑のゲスト解説を務めるため放送席で試合を見守る。試合に勝利した中邑が「(IWGP)ベルトに輝きがない」「[[アントニオ猪木|猪木]]」とリング上で発言したことに対して「ストロングスタイルの呪いにかかっている」と不快感をあらわにした<ref name="棚橋2009(2)FLY、25頁">[[#棚橋2009(2)FLY|棚橋2009(1)HIGH]]、25頁。</ref>。10月12日両国大会にてIWGP王座の防衛戦を終えた中邑の前に姿を現す。自身を避ける中邑の眼前にしつこく立ちはだかると、「どうだ、うっとうしいだろ?」と開き直り、続けて中邑に対して「暫定王者」と挑発しIWGP王座次期挑戦者としてアピール<ref name="棚橋2009(2)FLY、25頁"/>。[[ディストラクション (プロレス興行)#2009年|DESTRUCTION'09]]にて中邑と対戦したがボマイェに敗れ王座奪取とはならず。試合後、バックステージで倒れていると、突如としてTAJIRIが現われグリーンミストを喰らったことから遺恨が再発<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/5027|title=クアーズ ライト Presents DESTRUCTION'09 – 東京・両国国技館 – 第9試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2009-11-8}}</ref>。11月23日後楽園大会で後藤と共にTAJIRI & 田中組と対戦。G1参戦以降ピンフォール負けを許さなかったTAJIRIから勝利を収めた<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/5042|title=Circuit2009 NEW JAPAN ALIVE – 東京・後楽園ホール – 第8試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2009-11-23}}</ref>。その後のシリーズでは立て続けにTAJIRIにフォール負けを喫するも、12月5日愛知大会で再びシングルマッチで激突し、ハイフライフローで勝利を収め抗争に終止符<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/5097|title=Circuit2009 NEW JAPAN ALIVE – 愛知・愛知県体育館 – 第8試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2009-12-5}}</ref>。同月9日、[[東京スポーツ]]制定の[[プロレス大賞]]で最優秀選手賞(MVP)を受賞した<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/37429|title=「09年は、新日本の完全勝利です!」 プロレス大賞で棚橋弘至がMVPを堂々受賞!|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2009-12-9}}</ref>。
8月、CMLLが開催する[[CMLL#カンペオン・ウニベルサル|カンペオン・ウニベルサル]]に出場し、決勝戦で[[ルーシュ]]から勝利を収めて日本人史上2人目の優勝者となった{{efn|史上初は2010年に優勝した[[獣神サンダー・ライガー]]。}}。
 
ホーム新日本では引き続きBCとの抗争に明け暮れたが、G1公式リーグ戦でデヴィットと再戦した際も敗北を喫し、[[獣神サンダー・ライガー]]と共に7月5日に獲得した[[CMLL世界タッグチーム王座]]もBCの乱入がキッカケで[[ピート・フィフィタ|タマ・トンガ]] & [[レイ・ブカネロ]]組を相手に陥落。悪の限りを尽くすBCのダーティファイトに憤慨した棚橋は「介入できない形で決着をつけてやる!!」と、[[ディストラクション (プロレス興行)#2013年|DESTRUCTION]]にてデヴィットと[[デスマッチ#ランバージャック・デスマッチ|ランバージャック・デスマッチ]]で対戦。本隊とBCの両チームメンバーがリングに入り混じる中、最後はハイフライフローで勝利を収めて一連の抗争に終止符を打たせた。
 
10月14日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2013年|KING OF PRO-WRESTLING]]にてオカダの保持するIWGP王座に挑戦。棚橋はここで負けたらIWGP戦線から離脱を公言しており、リスクを背負った中での挑戦となったが、最後はオカダのレインメーカーでピンフォール負け。試合後に「さらばだ、IWGP!!」と、公約通りIWGP戦線から撤退を表明。目指すべき頂を失ってしまった棚橋だったが、11月9日の[[パワーストラグル (プロレス興行)#2013年|POWER STRUGGLE]]にて[[IWGPインターコンチネンタル王座]](以下「IC王座」)を保持する中邑真輔よりIC王座次期挑戦者として指名を受ける。これまでIWGPヘビーとIC王座という別路線を歩んでいた両者が久々に対決する可能性が急浮上した。
8月16日、両国国技館で行われた[[G1 CLIMAX|G1 CLIMAX 25]]決勝戦で、公式リーグ戦Aブロックを1位で通過した棚橋は、Bブロック1位の[[中邑真輔]]をハイフライフロー2連弾で制し、2007年以来8年ぶり2度目の優勝を収めた。優勝セレモニーの中で、棚橋が勢い余って優勝旗を折ってしまうというアクシデントがあった。
 
その後、G1優勝者に手渡される東京ドーム・IWGP王座挑戦権利証を獲得した棚橋は、G1公式リーグ戦で敗北した[[ファレ・シミタイトコ|バッドラック・ファレ]]、[[内藤哲也]]を相手に権利書争奪戦として再戦。いずれも勝利を収めたことで、翌東京ドーム大会でオカダの保持するIWGP王座に挑戦することが決定した。
 
==== 2016年 ====
1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#WRESTLE KINGDOM 11 in 東京ドーム|レッスルキングダム11]]にて、[[内藤哲也]]の保持する[[IWGPインターコンチネンタル王座]]に挑戦。デスティーノでピンフォール負けを喫し王座奪取に至らなかった。<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/62213|title=WRESTLE KINGDOM 11 in 東京ドーム 1/4(水) 第9試合 IWGPインターコンチネンタル選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>
 
1月5日、東京・後楽園ホールで行われた「NEW YEAR DASH!!」にて[[田口隆祐]]、[[中西学]]とのタッグで[[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン]](LIJ)の[[BUSHI]]、[[渡辺高章|EVIL]]、[[真田聖也|SANADA]]組が持つ[[NEVER無差別級6人タッグ王座]]に挑戦し勝利。第10代王者に戴冠<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/79285|title=NEW YEAR DASH !! 1/5(木) 第7試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>。これを機に、田口を"監督"としたユニット「[[タグチジャパン]]」を結成し、活動を開始する。
 
2月11日、大阪・大阪府立体育会館で行われた「[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#THE NEW BEGINNING in OSAKA (2017年)|THE NEW BEGINNING]] in OSAKA」にて、LIJ([[BUSHI]]、[[渡辺高章|EVIL]]、[[真田聖也|SANADA]])組に敗れ、[[NEVER無差別級6人タッグ王座]]陥落。<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/79853|title=THE NEW BEGINNING in OSAKA 2017 2/11(土) 第5試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>
 
3月11日、愛知・愛知県体育館で開幕した「[[ニュージャパン・カップ|NEW JAPAN CUP]] 2017」ではEVILに敗戦し、1回戦敗退となる。<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/85859|title=NEW JAPAN CUP 2017 2017 3/11(土) 第9試合 「NEW JAPAN CUP 2017」1回戦|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>
 
4月4日、東京・後楽園ホールで行われた「Road to [[サクラ・ジェネシス#2017年|SAKURA GENESIS]] 2017」にて、[[田口隆祐]]、[[リコシェ]]とのタッグで、[[NEVER無差別級6人タッグ王座]]を懸けてLIJ([[BUSHI]]、[[渡辺高章|EVIL]]、[[真田聖也|SANADA]])組とリマッチ、勝利し第12代王者となる。<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/89258|title= Road to SAKURA GENESIS 2017 4/4(月) 第8試合 NEVER無差別級6人タッグ選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>
 
6月11日、大阪城ホールで行われた「[[ドミニオン (プロレス興行)#2017年|DOMINION]] 6.11 in OSAKA-JO HALL」で[[IWGPインターコンチネンタル王座]]の[[内藤哲也]]に挑戦、テキサスクローバーホールドで内藤からギブアップ勝ちを収め、第16代王者となった。ICのベルトを投げたり踏んだりという暴挙を行う内藤を批判し、「このベルトは僕が救います」と宣言した通りの結果となった。<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/95533|title=DOMINION 6.11 in OSAKA-JO HALL 6/11(日) 第8試合 IWGPインターコンチネンタル選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>
7月2日、アメリカ・ロングビーチ コンベンション アンド エンターテイメント センターで行われた「G1 Special in USA」で、[[ビリー・ガン]]の挑戦を受けた。戦前に棚橋が、ガンをカリスマ的な存在として待望の挑戦者であるかのように発言した。しかし、現地では[[WWE]]時代はタッグプレイヤーだった上に53歳と高齢のガンが挑戦者としては物足りないという微妙な空気が漂った。試合は、棚橋がハイフライフローでガンを一蹴して初防衛を飾った。<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/1011280|title=G1 Special in USA 7/2(日) 第8試合 IWGPインターコンチネンタル選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2017-09-11}}</ref>
 
9月16日、広島・広島サンプラザホールで行われた「[[ディストラクション (プロレス興行)|DESTRUCTION]] in HIROSHIMA」で、[[ザック・セイバー・ジュニア|ザック・セイバーJr.]]を相手に2度目の[[IWGPインターコンチネンタル王座|IC王座]]防衛戦を行った。終盤、[[鈴木みのる]]が乱入するも、[[マイケル・エルガン|エルガン]]が排除して棚橋をアシスト。最後はハイフライフローを炸裂させ、激闘を制した。<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/111456|title=DESTRUCTION in HIROSHIMA 9/16(土) 第9試合 IWGPインターコンチネンタル選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2018-1-5}}</ref> 試合後、棚橋は次期挑戦者として[[飯伏幸太]]を指名。<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/114584|title=試合後、棚橋弘至が“IC王座次期挑戦者”に飯伏幸太を指名!|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2018-1-5}}</ref>
 
11月5日、大阪府立体育会館で行われた「[[パワーストラグル (プロレス興行)|POWER STRUGGLE]]」で、飯伏幸太を相手に3度目の[[IWGPインターコンチネンタル王座|IC王座]]防衛戦を行った。カミゴェを執念で防いだ棚橋が、最後はハイフライフローを炸裂させ、激闘を制した。<ref>{{cite web|url= http://www.njpw.co.jp/card_result/117312|title=wateRouge by home+ Presents POWER STRUGGL 11/5(日) 第9試合 IWGPインターコンチネンタル選手権試合|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2018-1-5}}</ref> 試合後、[[ジェイ・ホワイト]]がリングに登場し、棚橋をKOに追い込んだ。<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/card_result/120768|title=棚橋が歓喜のエアギター!しかし、最後になんと“スイッチブレイド”化したジェイ・ホワイトが出現!!|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2018-1-5}}</ref>
 
==== 2018年 ====
* 名づけのエピソードとして、父親は最初、[[豊臣秀吉]]の「秀吉」を逆さにして「吉秀」と名付けようとしたらしいが、母親から猛反対され「弘至」という名がつけられた。「弘」の一文字でも「ひろし」と読むことができるが、父親が[[アントニオ猪木]]の大ファンであることから、猪木の本名である「猪木寛'''至'''」から一文字いただいたという<ref>[[#棚橋2014|棚橋2014]]、17頁。</ref>。
*ジュニアモデルの呼春は棚橋の娘。
* 憧れのプロレスラーとして、[[ダイナマイト・キッド]]、[[カート・アングル]]、[[ショーン・マイケルズ]]の名を挙げている。中でもマイケルズのファンであり、2009年当時IWGP王者だった頃、挑戦者としてアングルを迎え撃った際、前日記者会見にてアングルから「タナハシは日本のショーン・マイケルズだ」<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/36208|title=「タナハシは間違いなく“日本版のショーン・マイケルズ”だ」 アングル、王者を絶賛した上でIWGP獲りをアピール/4月5日両国大会 前日記者会見|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2009-4-4}}</ref> と言われたときは、死ぬほど嬉しかったと答えている<ref>[[#棚橋2014|棚橋2014]]、44頁。</ref>。
* 1997年に行われた入門テストに合格したものの、長州より「大学卒業」の指示を下された棚橋は当時、プロレスラーになるのに大卒の肩書きが必要なのか疑念を抱いていたが、大学時代に得た知識はコメントを発表するときの言葉選びに役立っていることや「立命館大学卒」という肩書きで[[クイズ番組]]に出演できているのは長州のおかげであると、のちに感謝の意を表している<ref name="棚橋2014、29頁"/>。
* 入門当時に新日本の現場監督であった[[長州力]]が「学生プロレス嫌い」を公言していたことから、当初棚橋自身は立命館大学レスリング部出身を名乗り、学生プロレス経験者であることを公言せず、[[2006年]]4月に[[東京スポーツ]]紙上で[[レイザーラモンHG]]と対談した際、自らが学生プロレス出身であることを初めて公言した(サークルの先輩に[[ユリオカ超特Q]]・[[出渕誠|レイザーラモンRG]]がいる)。学生プロレス時代のリングネームは、メイ牛山、ハメ浩を経て、ターナー・ザ・インサート{{efn|ただし前述の東京スポーツの対談においては、学生時代のリングネームとされている「ターナー・ザ・インサート」と棚橋が同一人物かどうかについては明言を避けている。}}。