「釐王 (韓)」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
[[紀元前293年]]、[[魏 (戦国)|魏]]や[[周]]と連合し、24万におよぶ大軍を動員し、魏の公孫喜に総指揮を委ねて[[秦]]を攻撃した。しかし伊闕で秦の[[白起]]の軍に敗れて、公孫喜は捕らえられた。[[紀元前291年]]、秦の攻撃を受けて宛を失陥した。[[紀元前290年]]、秦に武遂の地200里を割譲した。[[紀元前286年]]、秦軍に夏山で敗れた。
 
[[紀元前284年]]、釐王は秦の[[昭襄王 (秦)|昭襄王]]と西周(王城)で会合し、[[田斉|斉]]を攻撃する連合軍に参加した。5カ国の連合軍が斉軍を撃破して、斉の[[ビン王 (斉)|湣王]]は[[臨シ区|臨淄]]から逃亡した。[[紀元前282年]]、釐王は秦の昭襄王と新城で会合した。[[紀元前275年]]、将軍の[[暴鳶]]を派遣して[[魏 (戦国)|魏]]を救援したが、秦軍に敗れ、暴鳶は[[開封市|開封]]に逃れた。
 
紀元前273年、[[趙 (戦国)|趙]]と[[魏 (戦国)|魏]]の軍に華陽を攻撃された。韓は秦に使者を送って救援を求めたが、秦は救援の軍を出そうとしなかった。韓の相国は陳筮に頼んで秦に赴かせ、陳筮は秦の穣侯[[魏ゼン|魏冄]]に面会した。陳筮が他の国に韓が従属する可能性を示唆すると、魏冄は救援軍の派遣を約束した。秦軍は8日で到着し、趙と魏の軍を華陽の下で撃破した。