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{{Infobox subdivision type
| name= ロンドン特別区
| map= [[File:Greater London in England (wo City of London) (zoom).svg|イングランド内のグレーターー・ロンドン|200px]]<br />[[イングランド]]の中のロンドン32区
| category= {{仮リンク|イングランドのディストリクト|en|Districts of England|label=ディストリクト}}
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| population_range= 150,000–300,000人
| area_range= 15–150 km<sup>2</sup>
| government= ロンドン特別区
| government1=
| government2=
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| subdivision4=
}}
'''ロンドン
各ロンドン
ロンドン特別区
ロンドン特別区
== 歴史 ==
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1930年代半ば頃から、大ロンドン地域は{{仮リンク|カウンティ・バラ|en|County borough}}、{{仮リンク|ミューニシパル・バラ|en|Municipal borough}}、{{仮リンク|アーバン・ディストリクト (グレートブリテン及びアイルランド)|en|Urban district (Great Britain and Ireland)|label=アーバン・ディストリクト}}、{{仮リンク|ロンドン県のメトロポリタン・バラ|en|Metropolitan boroughs of the County of London|label=メトロポリタン・バラ}}の4種の地方政府当局から構成されていた。大きなカウンティ・バラは全ての地方行政サービスを提供していた上に、通常はカウンティ・カウンシルにおいて与えられる権力を有していた。ミューニシパル・バラおよびアーバン・ディストリクトの当局はより少ない権力しか持っていなかった。この状況はカウンティ・カウンシルが初等教育や図書館運営のような機能をミューニシパル・バラとディストリクト・カウンシルに委譲できたことにより、より複雑化し、各サービスがバラバラに実施されることになった。ロンドン地方政府の改革により、この取り決めを調整しようとした。
{{仮リンク|グレーター・ロンドンにおける地方政府に関する王立委員会|en|Royal Commission on Local Government in Greater London}}が1957年に設立され、1960年10月19日に報告書が公表された。その報告書の中で、10万人から25万人の人口を持つ52の大ロンドン
1965年4月1日、全32区のロンドン
第1回選挙は、{{仮リンク|1964年ロンドン地方選挙|en|London local elections, 1964|label=1964年5月7日に実施}}され、新しいカウンシルは翌年に正式に権限が委譲されるまでの間、影の当局として非公式に行政の運営にあたった。
=== グレーター・ロンドン・カウンシル ===
1965年から1986年までの間、ロンドン
=== グレーター・ロンドン・オーソリティー ===
2000年、[[ロンドン市長]]と[[ロンドン議会]]で構成される[[グレーター・ロンドン・オーソリティー]] (GLA) が設立された。戦略的な当局として、GLAは主要な幹線道路計画戦略など、限られた権限のみを区
== 区の一覧 ==
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| {{London boroughs imagemap}}
| <ol>
<li>[[シティ・オブ・ロンドン]]<ref group="注釈">ロンドン
<li>[[シティ・オブ・ウェストミンスター]]</li>
<li>[[ケンジントン・アンド・チェルシー区|ケンジントン・アンド・チェルシー]]</li>
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|}
区の名称にロンドン
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [http://londonboroughsmap.co.uk/ ロンドン
* [http://www.natwest.com/personal/mortgages/area-comparison/london.ashx ロンドン
{{London}}
|