「原辰徳」の版間の差分

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(冗談で)「野球より好きだ」「49歳でアメリカへ渡り、50歳のときにゴルフのシニアツアーに参戦。[[全米シニアオープン|全米シニア]]で同世代の[[グレッグ・ノーマン|グレグ・ノーマン]]や[[ニック・プライス]]と戦う。37歳で現役引退したとき、そう思ったんだ」(50歳の誕生日を迎えた際の発言)と語るほどの[[ゴルフ]]好き<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/080722/bbl0807222046010-n1.htm 「夢は米ゴルフツアー参加だった」 50歳を迎えた巨人・原監督]</ref>。2016年には関東の名門コース・[[戸塚カントリー倶楽部]]のクラブチャンピオンを獲得し、2017年の第56回[[報知アマゴルフ選手権]]に同コースの代表として出場した<ref>[http://www.hochi.co.jp/golf/20170726-OHT1T50304.html 原辰徳さん、初の全国規模大会で7オーバー39位“デビュー”…報知アマゴルフ選手権] - スポーツ報知・2017年7月27あ日</ref>。
 
[[プロレス]]も[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で中継をしている[[全日本プロレス]]→[[プロレスリング・ノア]]の系列に造詣が深く、ゲスト解説などもしている。これら団体の試合を会場で観戦することもしばしばある。全日本プロレスでは[[永源遙]]の[[唾液|唾]]攻撃が原、[[岡崎郁]]と一緒に観戦していた[[廣田浩章]]の[[ジーンズ]]の膝あたりにかかってしまった事もあった。その試合後に永源の唾攻撃を原らに目掛けてやった張本人である[[ラッシャー木村]]の十八番であるマイクパフォーマンスで「今日おいで下さった巨人軍の選手の方々。特に原選手。燃えろ!原、燃えろ!辰徳」というエールが飛び、観客は大歓声であった。ノア社長の[[三沢光晴]]や、現役引退試合の翌日に同じく[[東京ドーム]]で行われた「[[激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争]]」を観戦し、当時メインイベントで[[高田延彦]]に勝利した、[[WRESTLE-1]]の[[武藤敬司]]社長とはプライベートでも親交を深めている。[[ジャイアント馬場]]の訃報をキャンプ地の宮崎で聞き、マスコミに対し「僕にとってのヒーローが…これ以上は勘弁してください」と言って人目をはばからずに号泣した。馬場はジャイアンツの大先輩でもある。最近はノア以外の選手にも注目しており、特に[[新日本プロレス]]の[[真壁刀義]]は同じ相模原市出身ということもあって、巨人の選手との会話において真壁を引き合いに出して若手に奮起を促していた<ref>東京スポーツ・2009年12月2日付 2面</ref>。2010年2月22日には新日本プロレスの真壁と[[タイガーマスク (4代目)|4代目タイガーマスク]]が宮崎キャンプに訪問して、タイガーマスクからプレゼントされた特注の覆面を迷いなくかぶる大サービスも見せた(白色のマスクで、巨人のロゴマーク入り)
 
また、球界屈指の愛犬家で、[[ボクサー (犬)|ボクサー犬]]をルーキー時代から現在に至るまで飼育している。1982年に出した歌『サム』は当時一緒に暮していた犬の名前。藤田元司が監督を退任した後に子犬をプレゼントしたという。