「池宮彰一郎」の版間の差分

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[[1992年]]、69歳の時に池宮彰一郎として執筆した、小説家としては随分遅いデビュー作『[[四十七人の刺客]]』で[[新田次郎文学賞]]を受賞する。[[1999年]]、『[[島津奔る]]』で[[柴田錬三郎賞]]を受賞する。脚本作家である経歴を生かし、特に戦争や戦闘のシーンにおいて軽妙で迫力のある文章を得意として、人気を博した。
 
[[司馬遼太郎]]を深く尊敬しており、口演にて「日本の小説は[[私小説]]が主体であったが、司馬遼太郎の歴史小説は大河的であり、日本の小説の流れを変えた作家であった」との内容を述べている。また、「歴史小説はそれまでの歴史[[考証]]にとらわれ過ぎてもならないし、逆に歴史を全く無視してもならない」と述べ、独自の歴史考証を行うことで新感覚の歴史小説を生み出していた。特に『四十七人の刺客』では大胆な考証を多数織り交ぜ、映画化を果たしたこともあり話題となった。
 
『四十七人の刺客』では大胆な考証を多数織り交ぜ、映画化を果たしたこともあり話題となった。例えば、江戸の町は治安のため、夜間は町ごとに門を設けて通行できないようにしてあった。当然[[赤穂浪士]]は移動のための工夫が必要であったはずで、池宮は大胆にも水路の移動が最も合理的であると判断し、作中でそのように描いた。
 
作品全体を見れば独自の視点を沢山盛り込んでおりクリエイティブな作家であったが、デビュー時すでに老齢であり作品数には限界があった。さらに晩年、著作の文章の一部に他の作家の作品との類似が指摘され、以下のような盗作疑惑が持ち上がることとなった。