「早岐客貨車区」の版間の差分

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*[[1951年]](昭和26年)[[4月1日]] - 早岐検車区と早岐車電区を統合し早岐客貨車区を設置。
*[[1973年]](昭和48年) - 14系寝台車が配置され、「[[あかつき (列車)|あかつき]]」に投入される。
**[[1975年]](昭和50年)3月からは[[日本海縦貫線]]の寝台特急「[[日本海 (列車)|日本海]]」にも共通運用されており、異例の長距離運用として話題になった。大阪到着の「あかつき」から「日本海」へのバトンを受け持っていたことから、佐世保(九州)~青森間を往復していた。したがって、出庫から配置区の早岐区へ帰還するまでに5日間要したことになる。以降3年間は東北地方でも「門ハイ」の表記を見ることができた。
*[[1978年]](昭和53年) - 14系15形寝台車が配置され、「あかつき」に投入される。これまでの「日本海」が受け持ちが青森運転所(盛アオ)の24系置き換えられたことに伴い青森への運用が消滅。当区配置の14系は大半が尾久客車区(北オク)へ転属した上で、寝台特急「北星」「北陸」を20系から置き換え、「ゆうづる」1往復を青森から移管の上で担当した。
*[[1984年]](昭和59年)2月 - [[早岐機関区]]と統合され廃止。統合後は早岐運転区(現・[[佐世保鉄道事業部]]佐世保運輸センター)となる。14系15形は向日町運転所(→[[京都総合運転所]]→現・[[吹田総合車両所#京都支所|吹田総合車両所京都支所]])へ転属した。