「ゴルフバトルロイヤル」の版間の差分

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舞台は「ダンロップフェニックストーナメント」と同じ[[宮崎市]]にあるフェニックスカントリークラブだが、ここではトーナメントでは使用しない「日南コース」で行われた。また、[[1993年]]は[[トム・ワトソン]]が設計・監修し、その年にオープンした「トム・ワトソンゴルフコース」で行われた。更に、末期はトーナメントで使用する「住吉コース」及び「高千穂コース」でも行われていた。
 
試合の形態は、日本国外からの有力選手7~8名に日本代表として[[青木功]]を加えたメンバー<ref>他に[[中嶋常幸]]、[[渡辺司]]、[[加瀬秀樹]]などが参加したことがある一方で、青木が参加していない年もある。</ref> で1ホールにつきそのホールで一番悪いスコアを出した1名が脱落するサバイバルマッチである。但し脱落しても順位による賞金をもらうことが出来る。一番悪いスコアを出した選手が複数出た場合は、[[バンカー (ゴルフ)|バンカー]]からのアプローチやパッティングなどの[[プレーオフ]]を行い敗者を確定させる。そして、最終的に残った2名で優勝者を決定するというものだった。優勝者には優勝賞金400~500万円前後(年によって変動あり)が贈呈された。[[1996年]]以降は2人1組のペア・マッチで行われ、試合形態もこれまでのものとは大きく変化した(ちなみに[[1997年]]は男女プロによるペア・マッチで行われた)。
 
普段のトーナメントとは違い、最初のうちは和気あいあいとしてやっていたものが、終盤に近づくにつれ真剣勝負になってしまうという特徴があった。またプレイヤー個々のスタイルがより前面に出るため、ギャラリーにはトーナメントとは別の意味で見応えのあるイベントであった。
 
この「ゴルフバトルロイヤル」の模様は毎年12月下旬~1月上旬<ref>[[1989年]]のみ、[[昭和天皇]][[崩御]]の関係で1月下旬に放送された。</ref> にかけて[[毎日放送]](MBS)制作で[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN基幹局]]に[[宮崎放送]](MRT)を加えて放送された。また[[北海道放送]](HBC)では[[1994年]]まで[[スポンサー]]をローカルスポンサーに差し替えて放送していた。
 
== 脚注 ==