「高師氏」の版間の差分

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| 時代 = [[鎌倉時代]]
| 生誕 = 不詳
| 死没 = [[正安]]3年[[旧暦4月10日]]([[1301年]][[5月18日]])
| 改名 =
| 別名 =
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| 官位 =
| 幕府 =
| 主君 = [[足利泰氏]]、[[足利頼氏|頼氏]]、[[足利家時|家時]]、[[足利貞氏|貞氏]]
| 氏族 = [[高氏]]
| 父母 = 父:[[高重氏]]
| 兄弟 = [[大高重長|重長]]、[[岡松頼基|頼基]]
| 兄弟 =
| 妻 =
| 子 = [[高師重|師重]]、[[高師行|師行]]、[[高師春|師春]]、[[高師信|師信]]、[[大多和定義|定義]]、[[高惟義|惟義]]
}}
'''高 師氏'''(こう の もろうじ)は、[[鎌倉時代]]の[[武将]]。[[足利氏]]の家臣。[[高師直]]の祖父
 
== 生涯 ==
[[足利泰氏]]、[[足利頼氏|頼氏]]、父の後を継いで[[足利家時|家時]]、[[足利貞氏|貞氏]]の[[足利家]][[当主]]4代にわたって[[執事]]として仕える。
 
家時が[[自害]]する際、後事を託され[[書状]]を遣わされた。[[室町時代]]前期の武将[[今川貞世]](了俊)が著した「[[難太平記]]」によると、書状は師氏の孫で尊氏執事となった[[高師直]]の従兄弟である[[高師秋]]が所持しており、[[足利直義]]に伝わったらしい
 
貞氏の代、弘安9年([[1286年]])[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]に[[鶴岡八幡宮]]両界供[[僧職]][[安堵]]を教意に伝える旨の[[奉書]]を発給する。その他の執事奉書とは違って足利氏当主の袖判がないが、これは貞氏が年少でまだ自身の[[花押]]を有していなかったからであると考えられる。ここから、師氏は[[被官]]の中でも最有力者であったと考えられる。
 
亡くなる[[正安]]3年([[1301年]])まで執事を務め、後を子の師重が継いだ。
 
== 脚注 ==
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