「高師重」の版間の差分

タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
[[正安]]3年([[1301年]])12月には師重が[[執事]]として活動していたが、[[徳治]]3年([[1308年]])には兄弟の[[高師行|師行]]が執事として活動していて、[[元応]]2年([[1320年]])には再び師重が執事として活動している、その後は[[長幸康]]と継母観阿・子息[[長師連|師連]]の相論に対し裁許を下すなど、足利家の[[側近]]として活躍していた。
 
[[元弘]]3年([[1333年]])までには子の師直に[[惣領]]の地位を譲っているが、これが原因で師直らと、[[高氏]]の嫡流の座を彼らに奪われた(一説によると、師秋の父師行は師重の兄)甥の[[高師秋]]との間で確執が生まれたといわれ、師秋は[[観応の擾乱]]で師直に与せず、[[足利直義|直義]]側についたともいわれる
 
[[建武]]3年/[[延元]]元年([[1336年]])6月、[[摂津]][[湊川]]で[[楠木正成]]らを破って入洛した後、[[比叡山]]に籠った[[後醍醐天皇]]方を攻撃し西[[坂本 (大津市)|坂本]]側の[[総大将]]となったが、討死したとされる。
252

回編集