「フラメンコ」の版間の差分

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=== 成立後 ===
19世紀前半にはすでにフラメンコはアンダルシアで上演されるようになっていたが<ref>「フラメンコのすべて」p94-95 有本紀明 講談社 2009年8月3日第1刷発行</ref>、フラメンコ([[フランドル]]地方の音楽という意味)という語が、今日知られる意味でのフラメンコに対して用いられるようになった時期は、文献から判断する限り19世紀半ばのことである。現在の意味におけるフラメンコという語の初出は[[1853年]]に[[マドリード]]で行われた夜会についてのものであり、1860年ごろからはこの語が[[セビリア]]でも用いられるようになった<ref>[[#志風|志風]] p.289</ref>。いずれにせよ、フラメンコの起源はアンダルシア地方、なかでもセビリアや[[カディス]]周辺のアンダルシア西部が本場とされている<ref>[[#濱田|濱田]] p.56</ref>。
 
フラメンコが演奏される場は、当初は個人の家などプライベートな空間が中心であった。この時期にはギターが使用されることも少なく、手拍子や掛け声(ハレオ)による伴奏が主であった<ref>[[#濱田|濱田]] p.55</ref>。
 
こうした状況は、[[19世紀]]半ばにカフェ・カンタンテと呼ばれる定期的にフラメンコが上演される飲食店が出現したことで大きく変容する。最初のカフェ・カンタンテは[[1842年]]にセビリアにできたとされる。<ref>{{Cite book|和書 |author = [[川成洋]] |year = 2016 |title = スペイン文化読本 |publisher = 丸善出版 |page = 168 |isbn = 978-4-621-08995-8}}</ref>当初はフラメンコでなくピアノやクラシックを聴かせる場であったようであるが、19世紀後半に入るとフラメンコを取り入れ興行化する。特にシルベリオ・フランコネッティのカンテと意欲的な行動が原動力となって18801870年代以降盛んとなる。り、彼自身が開いたカフェでは後の偉大なアーティストが多数活躍した<ref>「フラメンコのすべて」p100-105 有本紀明 講談社 2009年8月3日第1刷発行</ref>
さらにフラメンコの本場であるアンダルシア以外にも、[[マドリード]]や[[バルセロナ]]などスペイン国内の各地にカフェ・カンタンテが出現し、フラメンコはアンダルシア地方の一民族音楽から大きく飛躍することとなった。またこの時期にはフラメンコの内容も大きく変容し、1870年代にプロの舞踊家が登場し<ref>「フラメンコのすべて」p137 有本紀明 講談社 2009年8月3日第1刷発行</ref>、ギターがフラメンコの主流の楽器となったほか、それまでのヒターノたちの影響を強く受けたカンテ・ヒターノのほかに、元からのアンダルシア民謡がフラメンコの影響を受けたカンテ・アンダルースと呼ばれるもう一つの新しい流れが生まれた。そして各地にカフェ・カンタンテが出現したことから、芸能として確立されたフラメンコには優れた奏者が次々と現れ、フラメンコはより豊かで洗練されたものとなっていった<ref>[[#濱田|濱田]] p.57-59</ref>。
 
カフェ・カンタンテは20世紀初頭には姿を消し、フラメンコも1920年から1950年ごろまでは低迷期を迎えるが、[[20世紀]]後半になると伝統の復興気運が起き、上演の場所に関しても同様の飲食店であるタブラオが出現し、現在までフラメンコの上演の場の大きな部分を占めている。この時期からは劇場公演やフェスティバル、またペーニャ(Peña)とよばれる同好会もフラメンコ上演の重要な場となっていった<ref>「フラメンコのすべて」p119-122 有本紀明 講談社 2009年8月3日第1刷発行</ref>。
: 手拍子。甲高い音の『セコ (seco)』と低くこもった音の『バホ (bajo)』など2種類以上の音を使い分けながら、踊り手やギタリスト、歌い手の呼吸に合わせながらたたいて行く。フラメンコの音楽を形成する上で重要な役割を持つ。ギターの伴奏がなく、パルマのみの伴奏によって歌われ、踊られるシーンも少なくない。
; [[カホン]] (Cajón)
: 箱形の打楽器。叩いてハンド・パーカッションとして使用する。1970年代以降フラメンコに登場し、急速に普及した<ref>「フラメンコのすべて」p212-213 有本紀明 講談社 2009年8月3日第1刷発行</ref>
 
== 出典 ==