「ルドヴィコ・ザメンホフ」の版間の差分

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===エスペラント創案 ===
ザメンホフは国際語を述べた著書を出版すべく、2年にわたって基金を設立しようと試みるが、後に妻となる女性クララ・ジルベルニクの父親から経済的な援助を受けることで、その必要はなくなった。[[1887年]]には {{lang|eo|''"Doktoro Esperanto. Lingvo internacia. Antaŭparolo kaj plena lernolibro"''}}(「エスペラント(希望する人)博士、国際語、序文と完全なテキスト」)と題された著書が出版されることになる。ザメンホフにとってこの言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、異なる人々や文化の平和的な共存という自らの理念を広げる手段でもあった{{要出典|date=2020-7}}
 
ザメンホフは[[1917年]]にワルシャワで心臓病のために亡くなった。