「NTT中継回線」の版間の差分

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かつてその主幹部は[[マイクロ波]]を用いた[[無線]]中継伝送により、日本列島を縦貫するように結ばれていたが、[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]などへの対応から、地上回線については、より回線容量の大きい[[光ファイバー]]伝送に移行された。
 
昭和33年当時、マイクロ回線1波あたりで、白黒テレビ映像1回線、または市外電話回線最大480回線を伝送しており、光ファイバーが敷設されるまでの間、マイクロ波通信回線は重要な役割を占めていた。昭和33年当時はマイクロ波回線が少なく、東京-札幌間は4回線(うちテレビ2回線、予備線1回線)、東京-大阪間は6回線(うちテレビ2回線、予備線1回線)、大阪-鹿児島間は3回線(うちテレビ1回線、予備線1回線)にとどまっていた。昼間は電話回線として運用し、電話が少なくなる夜間はテレビ中継回線に切り替えて運用する回線もあった。地方にテレビ第二局が開局した昭和35年頃は、NHKと地方局の先発局が中継回線の本線を使用し、後発局は予備線を使用しており、マイクロ波電話回線や本線が故障した際は予備線が後発局の伝送に使用できなくなるため、後発局の回線放送中(特に昼間)が頻発していた。また、映像と音声を別の回線で伝送していたため、回線の故障により、映像と異なる音声が伝送されたり、音声が伝送されないこともあった。
 
黎明期は手動で回線を切り替えていたが、東京に民放キー局が4局開局した直後は、地方局はまだ1つの放送エリアあたり1〜2局前後にとどまり、クロスネットがほとんどで、切替業務が複雑となり、切替ミスによって番組やCMが最後まで流れなかったり、最初が切れたりする放送事故が頻発し、民放の場合は営業的な損失に繋がるため、昭和38年の電電テレビ中継センターの設置により、切替が自動化された。