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== 略歴 ==
[[画像:Kenichi Fukui Monument at Kyoto University.JPG|thumb|ノーベル化学賞記念碑(京都大学構内)]]{{年譜のみの経歴|date=2020年7月}}
* 1930年3月 [[大阪市立岸里小学校|大阪市玉出第二尋常小学校]]卒業
* 1935年3月 [[大阪府立今宮高等学校|旧制今宮中学校]]卒業
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== 人物 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2020年7月}}
* 工場経営、外国貿易を営む父亮吉の元、三人兄弟の長男として奈良県生駒郡(現[[奈良市]]押熊町)に生まれる。少年時代は大阪府[[西成郡]][[玉出町]](現[[大阪市]][[西成区]][[岸里]])で過ごした。
* 中学時代に[[ファーブル昆虫記]]をこよなく愛読していた。
* [[数学]]が好きであったが、父の叔父に当たる喜多源逸京大教授の「数学が好きなら化学をやれ」という一言に触発され、京都大学工学部工業化学科に進学した。後に[[量子力学]]を会得し、フロンティア軌道理論を完成させることとなる。
* 24歳で京都大学の講師となるが、同時に国から陸軍技術大尉にも任命され、別格[[官幣大社]]と呼ばれていた。戦時下にありながら、東京京都間の往復など、自由な生活が許されていた。
* 陸軍燃料研究所のアルコール蒸気に満ちた実験室で実験を繰り返していたため、酒にめっぽう強くなった。
* 1960年代初頭には既に黎明期の[[核磁気共鳴分光法]]を研究に取り入れていた<ref>{{Cite journal|和書|title=ベンセンのハロゲン置換体のプロトンシフト |journal=高分解能核磁気共鳴の化学への応用 第1回討論会 講演要旨集 |author=米沢貞次郎 |author2=岩前博子 |author3=福井謙一 |date =1961 |issue = |volume = |publisher = |isbn= |pages=17|url=http://yojiarata.exblog.jp/12479108/ }}</ref>。
* メモ魔であり、枕元に常に[[メモ帳]]と[[鉛筆]]を置いて寝ていた。また、早朝の散歩にも手帳を持ち歩いていた。
* [[ダイレクトメール]]などの印刷物は不要でもすぐには捨てず、裏が白いものはB6ほどの大きさに揃えた後、メモ用紙として再利用した。これは紙が貴重だった戦前からの習慣であった。
* 毎朝の散歩を欠かさなかった。[[琵琶湖疎水|北白川疏水]]から瓜生山西麓の小道を経て、[[赤山禅院]]へと至る道を好んで歩いた。
* 基礎学問重視、独創的研究の必要性、科学と人間の平和的共存を訴えた。
 
== 語録 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2020年7月}}
*「メモしないでも覚えているような思いつきは大したものではない。メモしないと忘れてしまうような着想こそが貴重なのです。」
*「時間と空間を媒介して、宇宙空間の全ては因果関係でつながっている。」