「窪田清音」の版間の差分

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この窪田派田宮流の系統は、[[田都味嘉門]]、[[真貝忠篤]]、[[武藤為吉]]、[[島村勇雄]]、[[小泉弥一郎]]を輩出している。[[加藤田平八郎]]も指導を受けた。
 
[[大津事件]]の[[大審院]]長として有名な[[児島惟謙]]、剣豪商人と称され、[[大阪商工会議所]]会頭を務めた[[土居通夫]]、[[自由民権運動]]で活躍した山崎惣六は、[[宇和島藩]]士時代に、田都味嘉門門下で窪田派田宮流を修業、免許皆伝を認められている<ref>『三百藩家臣人名事典』451頁</ref>。
 
真貝忠篤は、美濃[[大垣藩]]士として[[戊辰戦争]]を生き残り、[[明治維新|維新]]後は[[警視庁武術世話掛|警視庁撃剣世話掛]]、[[皇宮警察 (宮内省)|宮内省皇宮警察]]師範を勤め、[[根岸信五郎]]([[神道無念流]])、[[得能関四郎]]([[直心影流剣術|直心影流]])と「東都剣術三元老」と呼ばれ明治後期の剣術家の間で大御所的存在であった。
 
[[信濃]][[松代藩]]は窪田清音師範を務めたため、第8代藩主・[[真田幸貫]]以下、高野武貞など藩士が田宮流を習得した<ref>伊藤三平『江戸の日本刀―新刀、新々刀の歴史的背景』</ref>。
 
[[小栗忠順]]、[[鈴木重嶺]]は清音から柔術を習っている。