「ジョグジャカルタ王宮 (クラトン)」の版間の差分

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=== 王宮 ===
[[ファイル:COLLECTIE TROPENMUSEUM De sitinggil in de Kraton van de Sultan van Jokjakarta met aanzienlijke Javaanse ambtenaren in afwachting van Sultan Hamengkoe Boewono VIII en de Resident tijdens de Garebeg Poeasa TMnr 60042343.jpg|thumb|王宮の「シティンギル」で[[スルタン]]・[[ハメンクブウォノ8世]]らの登場を待つ廷臣(1922年5月28日)]]
王宮の建築主導者は、ジョグジャカルタのスルタン家を創設したハメンクブウォノ1世自身であった。王宮の場所は、[[ムラピ山]]より流れる西側の{{仮リンク|ウィノンゴ川|id|Kali Winongo}}と東側の{{仮リンク|チョデ川|en|Code River}}という2本の川の間にあり<ref>[[#nhk|『ジョグジャカルタ』 (2002)]]、12-13・57頁</ref>、川水により防御できされる[[ベンジャミン (植物)|ブリンギン]]({{lang-id-short|Beringin}}、神が宿るとされる聖木)の森が選ばれた<ref name=yogyes /><ref>[[#Agustina|Agustina (2011)]], pp. 93 95</ref><ref>[[#nhk|『ジョグジャカルタ』 (2002)]]、55-56頁</ref>。王宮は外囲5キロメートル、高さ4メートルの煉瓦による城壁で囲まれ、周囲の[[水堀]]から[[跳ね橋]]を持つ5つの門より内部に通じる防御構造を備えていた<ref>[[#nhk|『ジョグジャカルタ』 (2002)]]、56頁</ref>。
 
現在、{{仮リンク|クラトン (ジョグジャカルタ)|id|Kraton, Yogyakarta|label=クラトン}}地区と呼ばれるジョグジャカルタ旧市街の基本設計による王宮の配置は1755-1756年のうちに完成した。クラトンの周壁との間には王族およびスルタンに仕えるアブディダルム (''abdi-Dalem'') と呼ばれる幾多の侍従<ref>[[#nhk|『ジョグジャカルタ』 (2002)]]、72頁</ref>の住居が建てられ、伝統文化の担い手としてスラカルタからの侍従を多く住まわせ<ref>[[#nhk|『ジョグジャカルタ』 (2002)]]、58頁</ref>、周壁の回りには市民の居住地が広がっていった<ref>[[#nhk|『ジョグジャカルタ』 (2002)]]、108頁</ref>。また、後のジョグジャカルタのスルタンにより、そのほかの構造物が増築された。現在の王宮の大部分は[[ハメンクブウォノ8世]](スルタン・ハムンク・ブウォノ8世、在位[[1921年|1921]]-[[1939年]]<ref name=dohosha_408 />)により構築されたものである。それに[[1876年]]以来幾度かの地震の後に修築がなされている。