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== 歴史 ==
[[画像:Toji - Golden Hall.JPG|thumb|200px|金堂(国宝)]]
[[8世紀]]末、[[平安京]]の正門にあたる[[羅城門]]の東西に「東寺」と「[[西寺]]」<ref>西寺は早い時期に衰退し、現在は京都市南区唐橋の近隣公園・[[唐橋西寺公園]]内に史跡西寺跡の碑があり、付近に西寺の寺名のみを継いだ小寺院が残るのみである。跡地である公園や小学校の敷地は西寺跡として国の史跡に指定されている。</ref>という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。
 
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== 金堂 ==
[[画像File:Toji, kondou- Golden Hall2.JPGjpg|thumb|200px220px|金堂(国宝)]]
[[画像:Yakushi-nyorai.jpg|thumb|180px|金堂本尊・薬師如来坐像]]
国宝。東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年([[823年]])までには完成していたと推定される。当初の堂は文明18年([[1486年]])の[[土一揆]]で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。現存の建物は[[慶長]]8年([[1603年]])、[[豊臣秀頼]]の寄進によって再建したもので、奉行として[[片桐且元]]が任に当たった。[[入母屋造]][[瓦葺き|本瓦葺き]]で、外観からは二重に見えるが一重[[裳階]](もこし)付きである。建築様式は[[和様建築|和様]]と[[大仏様]]([[天竺様]])が併用され、[[貫 (建築)|貫]]や[[組物|挿肘木]]を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。内部は広大な空間の中に本尊の[[薬師如来]]坐像と[[日光菩薩]]、[[月光菩薩|月光(がっこう)菩薩]]の両脇侍像が安置されている。
*木造薬師如来および両脇侍像(重要文化財)
:像高は中尊(薬師如来)が288センチメートル、左脇侍(向かって右)の日光菩薩が290センチメートル、右脇侍(向かって左)の月光菩薩が289センチメートル。中尊が座す[[台座#仏座|裳懸座]]の腰回りに12体の[[十二神将]]像が立つ。三尊像は[[寄木造]]、漆箔仕上げ、[[玉眼]](眼の部分に水晶を嵌め込む)。台座に付属する十二神将像は寄木造、彩色、玉眼。中尊の像内納入の木札、十二神将像の像内銘や納入品、及び、[[東寺長者]]を務めた[[義演]]の日記である『義演准后日記』の記載などから、この三尊像は慶応7年から同9年(1602 - 1604年)にかけて、七条大仏師[[康正 (仏師)|康正]]が[[康理]]、[[康猶]]、[[康英]]らとともに制作したことがわかる。中尊の台座を[[台座#仏座|蓮華座]]でなく裳懸座とする点、中尊が左手に薬壺(やくこ)を持たない点などは古い要素で、本像が平安時代前期の当初像の形制にならって制作されたことを窺わせる(薬師如来の像は、左手に薬壺を捧持する形が一般的だが、奈良・[[薬師寺]]金堂薬師如来像([[奈良時代]])のような古像は薬壺を持っていない)<ref>『もっと知りたい東寺の仏たち』pp.38 - 43</ref>。
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File:Toji, kondou-3.jpg|金堂
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== 講堂 ==
[[画像File:Kyoto Toji, Kodo C0929koudou-1.jpg|thumb|200px220px|講堂(重要文化財)]]
[[画像:Lecture Hall Toji Five Great Bosatsu.JPG|thumb|180px|五仏(講堂安置)のうち大日如来と阿弥陀如来(手前)<!--ファイル名は「五大菩薩」となっているが誤り。-->]]
[[画像:Gozanze Myoo Toji Kodo.jpg|thumb|180px|五大明王(講堂安置)のうち降三世明王]]
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== その他の建造物 ==
=== 食堂(じきどう) ===
[[File:TouziToji, jikidou-1.jpg|200px|thumb|食堂]]
講堂の後方、境内の北寄りに建つ。初代の食堂は空海没後の9世紀末から10世紀初め頃にかけて完成したと推定されるが、[[慶長伏見地震|文禄5年(1596年)の地震]]で倒壊。2世紀以上後の寛政12年(1800年)にようやく再建工事が始められた。この江戸時代再建の食堂は昭和5年([[1930年]])に火災で焼失し、現在の建物はその後の再建で、昭和9年(1934年)に完成したものである。旧本尊の[[千手観音]]立像はこの時の火災で焼損したが、昭和40年(1965年)から修理が実施され、現在は寺内の宝物館に安置されている。現在の食堂には[[明珍恒男]]作の十一面観音像が本尊として安置されている。
*納経所<ref>弘法大師で「真言宗十八本山」9番・「京都三弘法霊場」・「神仏霊場巡拝の道」84番・「四国八十八箇所」巻末・「四国別格二十霊場」巻頭、十一面観音で「洛陽三十三所観音霊場」23番、大日如来で「京都十三仏霊場」12番、薬師如来で「京都十二薬師霊場」2番、毘沙門天で「都七福神まいり」、愛染明王で「西国愛染十七霊場」8番などの納経ができる。</ref>は当堂の中にあり、写経会や展示会が行われる。
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;灌頂院(重要文化財)
:境内南西隅に位置する。[[伝法灌頂]](密教の奥義を師匠から弟子へ伝える儀式)、[[後七日御修法]](ごしちにちのみしほ:正月の8日から14日までの間に、天皇の安泰を祈願する儀式)などの儀式を執り行うための堂で、内部には仏像は安置されていない。床は[[石畳]]になっており、土足厳禁となっている。
[[File:Toji, Hachiman-jinja.jpg|thumb|200px|鎮守八幡宮]]
;鎮守八幡宮
:南大門を入った左側にある。明治元年(1868年)に焼失後、1世紀以上を経た平成4年(1992年)に再建。東寺の鎮守神である僧形八幡神像と女神(じょしん)像2体を安置する。[[薬子の変]]の際、空海はここで嵯峨天皇勝利の祈祷を行っている。