「元詳」の版間の差分

m
Bot作業依頼: 「ギョウ」→「鄴」が記事名を含まれる記事の改名に伴うリンク修正依頼 (鄴) - log
m (Bot作業依頼: 「ギョウ」→「鄴」が記事名を含まれる記事の改名に伴うリンク修正依頼 (鄴) - log)
[[497年]](太和21年)、孝文帝の南征にあたって、元詳は中領軍を代行した。[[498年]](太和22年)、趙郡王[[元幹]]が死去すると、元詳は[[司州]]牧を代行した。護軍将軍の号を受け、尚書左僕射を兼ねた。
 
[[499年]](太和23年)、孝文帝の死にあたって、輔政を遺託され、[[司空]]となった。[[501年]]([[景明]]2年)、[[宣武帝]]が親政を開始すると、元詳は侍中・[[大将軍]]・録尚書事となった。兄の咸陽王[[元禧]]が反乱を計画して敗死すると、元詳は自らの任を解くよう願い出た。宣武帝はこれを許さず、かえって[[太傅]]・領[[司徒]]に任じた。[[502年]](景明3年)、宣武帝が閲兵のために[[ギョウ|鄴]]に赴くと、元詳は[[高肇]]や[[于勁]]らとともに[[洛陽]]の留守を預かった。
 
元詳は宣武帝の叔父として顕位に上り、収賄や商売によって巨万の富を蓄え、宏壮な邸宅を営んでいた。妃の劉氏を相手にせず、妾の范氏を寵愛した。范氏が亡くなると、上表して平昌県君の位を贈った。また安定王[[元燮]]の妃の高氏(宣武帝の叔母)と私通した。
314,868

回編集