「ロテール (西フランク王)」の版間の差分

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ロテールの治世の初期は、[[ノルマンディー公]]をはじめとする家臣との戦いで占められた。また、[[ロレーヌ]]の[[オットー2世 (神聖ローマ皇帝)|オットー2世]]からの奪還も計画した。[[977年]]、オットー2世はロテールと仲の悪かった弟[[シャルル (下ロレーヌ公)|シャルル]]に下ロレーヌ公位を与えたが<ref>瀬原、p. 97</ref>、これに反発したロテールは、[[978年]]の春、エクス=ラ=シャペル(ドイツ名[[アーヘン]])で奇襲攻撃を行なってオットー2世を捕らえる直前まで持ち込んだ。これに対してオットー2世は同年秋、フランスへ復讐戦をしかけた。オットー2世の兵はパリ近郊まで侵攻したが領土を奪うことはできず、損害を出して撤退した<ref>瀬原、p. 97-98</ref>。結局、[[980年]]5月にマルギュ=シュル=シエール(Margut-sur-Chiers)で両者の間に講和条約が結ばれ、ロテールはロレーヌを放棄した<ref>瀬原、p. 98</ref>。
 
980年頃からロテールとユーグの息子[[ユーグ・カペー]]は対立するようになった。一方でオットー2世の急死に伴い、[[アダルベロン (ランス大司教)|ランス大司教アダルベロン]]のとりなしによって後継の[[オットー3世 (神聖ローマ皇帝)|オットー3世]]と和解した。
 
986年3月2日、ロテールは死去した。王位はイタリア王[[ロターリオ2世]]の娘エマとの間の息子ルイが[[ルイ5世 (西フランク王)|ルイ5世]]として継承した。