「クラレンス・バーロウ」の版間の差分

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[[電子楽器]]を用いた作品が多い。[[インド]]出身だが[[イギリス人]]入植者の末裔である。[[コルカタ大学]]、[[ロンドン]]音楽大学トリニティ・カレッジ、[[ケルン]]音楽大学、[[ユトレヒト大学]][[音響学]]研究所に学んだ。[[クラーニヒシュタイン音楽賞]]を受賞し、脚光を浴びたのが事実上のデビューとなった。
 
自由な教育方針で、[[ゲオルク・ハィドゥ]]、[[三輪眞弘]]、[[ファン・マリア・ソラーレ]]、[[サイモン・ピニントン]]、[[ガブリエル・パレヨン]]、[[ヴ・ニャット・タン]]らの才能ある弟子を育てた。長年[[アムステルダム]]や[[ケルン]]に在住し、[[ハーグ王立音楽院]]やケルン音楽大学にて教壇に立った。ケルンの音楽団体GIMIKの共同創設者の一人。[[1988年]]にコンピューター音楽国際会議ケルン大会の理事を務めた。
 
現在はアメリカのカリフォルニアに在住し、[[カリフォルニア大学サンタバーバラ校]]で新しく教鞭を取り、ヨーロッパとアメリカを往復する生活を送っている。